美しい芸術は「愛の在り処」を標す。

東京滞在中は全く以ってイライラするニュースばかりで、賄賂やトラブル続きのオリンピックなんかさっさと辞めちまえ!だし、甘利も森も舛添も電通もとっととクビにすべき。序でに自分を「立法府の長」と勘違いして居る「三権分立」すら知らない総理は、沖縄女性が元米軍兵に殺された事に関してコメントを求められても無視、なんて状況は誠に耐え難い…日本は何時からこんな「腐国強兵」な国に為って仕舞ったのだろう?

そんな中ニューヨークに舞い戻った僕は、ニューヨーク・タイムズのアート欄に心温まる記事を見つけた…それは昨年亡くなったニューヨーク在住のジャズ・ピアニスト、「プーさん」こと菊地雅章氏のニュー・アルバム、「黒いオルフェ」のレビューだ(→http://www.nytimes.com/2016/05/19/arts/music/masabumi-kikuchi-black-orpheus.html?smid=tw-nytimesarts&smtyp=cur)。

プーさんの事は此処に何度か書いたから繰り返さないが(拙ダイアリー:「プーさんとどら焼き」「Incurably romantic」「老ジャズ・ピアニストのバースデー」参照)、今回のこのアルバム(→http://www.universal-music.co.jp/masabumi-kikuchi/products/ucce-1160/)に収録された、2012年に上野の東京文化会館でのプーさんのソロ・プレイ(→https://www.youtube.com/watch?v=jxmR-A-lssM)は、インプロヴァイゼイションは元より、その一音一音の輝きが余りに美しくて、個人的にはキース・ジャレットなんか全く眼じゃない。

そしてこのレビューのタイトルに「不協和音を通してピースフルにプレイする菊地雅章」と有る様に、プーさんの演奏は安らか極まりないので、この演奏を聴きながら、プーさんの遺品の中から貰ったメシアン聖餐式」の楽譜(プーさんが遺した楽譜には、例えばラヴェルの「夜のガスパール」やドビュッシー等、クラシックも多かった)を眺めて居ると、涙が出そうに為るが、アーティストの中には死んでから世間に認められる人も多いから、プーさんも若しかしたらその典型だったか…と、今は亡き天才に思いを馳せ、彼の音楽と云う芸術への溢れる「愛」を思う。

そこで今日の本題は、その「愛」…人が探そうとしても簡単には見つけられない「愛の在り処」を標す、最近体験した2つの素晴らしい芸術作品に就いて。

そしてそんな「愛」を語る芸術は古今東西数多有れども、人間性も愛も希薄浅薄に為り、乾き始めた21世紀に入ってから、これ程迄に痛く美しい、愛に関する「文学」と「映画」が有っただろうか?

男女の愛と人生に就いて描かれたこの2つの芸術作品に、共通点は少ない。が然し、愛と人とが必ず迎える「経年変化」や「未来こそが過去を変える」と云う事実、そして全編を通じて流れる「音楽」と、その音楽を人生の生業とする主人公の存在は図らずも共通している。

文学の方の主人公は中年に差し掛かった天才クラシック・ギタリストで、一方映画の方はナイトの称号を授けられる老齢の作曲家兼指揮者…この「一世を風靡した」2人の男性音楽家と各々の運命の女性との愛は、音楽家同士に年齢差や国籍の違いは有っても、何れも濃密且つ不遇な歴史を綴る。

そんな音楽家達の内、ミドル・エイジ・クライシスを感じ始めたギタリストは不意打ちを食らった様に恋に落ち、敗れ、騙され、嘘を伴う運命に翻弄されるが、最後に遠い未来への光を見る。逆に年老いた作曲家は愛を、気力を喪い、遠い過去を重く引摺るが、最後にその過去にケリを付け、光を浴びる…「映画」中で、主人公の親友の映画監督が云う様に、「老人に取って未来は近く、過去は遠い…逆に若者に取って未来は遠く、過去は近い」のだ。

また、この2人を「愛の過去」の混沌と失望、諦念から再生させた共通項が、「友人の自死」で有った事も興味深い。そう「死」とは「気付き」で有って、必ず身近の者にそれを齎すからだが、身近な死程自分の生を確認させ、愛おしませる物も無い。愛に敗れ、諦めた「様に見える」男の本心は、友人の死に因って再抽出され、再燃する…自分の「愛」が未だ死んで居ない事を証明する為に。或いは自分に取っての真の「愛の在り処」を探し出す為に。

卓越したこの文学と映画の2つの物語、或いは主人公達に、自分の過去や経験、想い出を重ね合わせる事は容易いが、自分の未来への道筋が形振り構わぬかどうか、そして自己欺瞞が無いかどうかが、美しき愛の人生を送る上での絶対条件で有る…そして僕はその「道標」を、この2作品に観た。

が、僕が幾ら此処で何を書いても、全く用を為さない…何故なら、この2作品の素晴らしさを此処で語り尽くす事は不可能だし、僕のこの2篇に対する感情は、恐らくは生々し過ぎて理性を欠いて仕舞うからだ。その前に、何しろ美しい芸術は自分で体験せねば決して判らない。

その「文学」とは即ち平野啓一郎著「マチネの終わりに」、「映画」とはパオロ・ソレンティーノ監督作品「グランドフィナーレ(原題:Youth)」。

そして、この涙無くしては読む事も観る事も出来ない2作品を体験すれば、自分の過去と未来に横たわる真の「愛の在り処」の存在と、幾つに為っても一生を賭けてそれを捜し求める、終わり無き旅に出る勇気が湧くに違いない…是非読んで、観て、体験して頂きたい。

最後に「グランドフィナーレ」の「フィナーレ」で、ヴィクトリア・ムローヴァのヴァイオリンとBBC管弦楽団の演奏をバックに、スミ・ジョーに拠って歌われるDavid Langの「Simple Song #3」(→https://www.youtube.com/watch?v=UCVnFUUI6X4)を記して置く。

「マチネの終わりに」と「グランドフィナーレ」と云う、美し過ぎる芸術作品を体験した後では、「送るべき愛の人生とは、この『Simple Song』その物で有る」と云っても、決して過言では無い。


"Simple Song #3" by David Lang

I feel complete
I lose all control
I lose all control
I respond

I feel chills
I break
I know all those lonely nights
I know all those lonely nights

I know everything
I lose all control
I get a chill
I know all those lonely nights

I die
I hear all that is left to be heard
I wish you would never stop
I've got a feeling

I live there
I live for you now
I leave no sense behind
I feel complete

I've got a feeling
I wish you're moving like rain
I'll be there
I lose all control

When you whisper my name


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