銀座に戻った「観世流」の始動。

未だ涼しいニューヨークに戻って来た。

出発直前には歌舞伎座で、「四月大歌舞伎」夜の部を観劇。今月の演目は「傾城反魂香」、「桂川連理柵」と「奴道成寺」…吉右衛門が演じた「反魂香」で演じた浮世又兵衛は、先日MOAで観た「山中常盤」を描いた岩佐又兵衛とは似ても似つかなかったが、吉右衛門の名演が胸を打つ。

また「桂川」は良い話なのだが、如何せん藤十郎の台詞が全く聴こえず、残念。山城屋はそろそろ役者としての潮時かも知れない。それに引き換え「道成寺」での猿之助の踊りは流石で、此の所益々円熟度を増して居る様に感じられる。

帰りの機内では、観たかった「ライオンー25年目のただいま」を観る。成長した「スラムドック・ミリオネア」のデヴ・パテールが主演だが、何よりもこの話が「実話」だと云う事に感動頻り。映画の最後には登場人物のご本人達も出て来て更なる感動を呼ぶが、本作のタイトルが何故「ライオン」なのかが、エンド・クレジット直前に判るのも一興。

さてこの作品で25年前に迷子になり、過酷な人生を送って来た主人公の青年が家族を見つけ出す事が出来た訳には、グーグル・アースを使った事等幾つか有るが、母親が何時か息子が帰って来ると信じて、遠くへ引っ越さなかった事も大きかったのでは無いか。

この母親だけが持つ、息子への祈りとか直感とかが実際馬鹿に出来ない事を、僕は最近体験した…それは前日にオープンした「Ginza Six」の開業を伝える、21日の朝日新聞朝刊の記事に関する事だ。

その日の午後、僕は母と会う事に為って居たのだが、その待ち合わせに母が極小の新聞の切り抜きを持って来た。其処には「GINZA SIX 開業に殺到」と云う見出しが出て居て、その下に6 x 4cm.程の、来場者で大混雑して居る風景のカラー写真が出て居るのだが、その写真中の奥の奥の方に、一際背の高い黒のスーツ姿の男性が立って居るのが見える。

そして母親はこの写真を僕に見せ、「これ貴方じゃないの?」と聞くのだが、確かに僕は開業の20日に後で述べる理由でGINZA SiXに行って居たし、写真をよく見るとオデコの広さや黒縁眼鏡からして、実際僕の様に見えるでは無いか!然し老眼の79歳の老母が、写真の中の2mm.位の息子を見つけるなんて、奇跡的では無いか?

母に言わせると「思わず目が行って、あれっ?と思った」らしいのだが、「小さい時に離れ離れに為った中国残留孤児の親子だって、何十年振りに会っても直ぐ分かるんだから、こんな事はお茶の子さいさいよ」との事…母親恐るべし、で有る(笑)。

さて今日の本題は、上に記した様に僕が20日にGINZA SIXに行った理由に深く関わる…それはGINZA SIXの開業と共に、その地下に誕生した「二十五世観世左近記念 観世能楽堂」の開場記念公演で有った。

僕が行った初日は招待日だったので、松濤の時よりも少なく為った480席は当然満員。新能楽堂の席はゆったりとして居て、前の列と席が互い違いに為って居るので、前の席の人の頭が余り気に為らず、観やすい。時に多目的ホールとしても使われるとの事で、柱は取り外し可能らしいが、難を云えば脇正面の席が少なく、橋掛りも短い事か…この橋掛りの短さは、特に能終了後の役者や囃子方の退場時に幽玄さ(の名残)を欠くかも知れず、その意味で少々残念では有る。

そしてこの日は招待日らしく有名演出家や女優、学者、古典芸能関係者、政治家らしき面々も見えたが、堂内は緊張と期待に溢れ、そして清めの切火の音が聞こえると、粛々と「祝賀能」初日が始まった。

初日の演目と演者は、観世宗家の「翁」、藤波重和師の独吟「羽衣」、続いて金剛宗家の「難波」と宝生宗家の「草薙」の仕舞、梅若玄祥師の舞囃子「鶴亀」と続き、再び観世芳伸師の「老松」、木月孚行師の「東北」、観世淳夫師の「岩舟」の仕舞三番、そして最後が観世銕之丞師の能「高砂」と云う、目出度くも重厚なモノ。

そんな宗家の「翁」は神聖さと力に溢れ、当に開場の祝言に相応しい出来だったが、それと共に今回驚かされたのが、山本東次郎師の三番三(叟)だった!

僕が山本東次郎師の三番三を観たのは実は初めて(だと思う)で、三番三でこれだけ感動したのは、今は亡き五世野村万之丞師のを観て以来。勿論東次郎師の三番三は万之丞師のそれとは全く異なるが、この日の東次郎師の古式豊かで力強い三番三を観た僕には、最近目にする三番三の殆どが「西洋的リズム」で舞う、謂わば「バレエ」の様に思えて仕舞った程だった。

またこの日もう一点僕が大変驚いた事は、「翁」が始まってから「高砂」が終る迄、公演中唯の一回も、唯の一拍も客席から拍手が起きなかった事だ!

これは僕の少年時代からの「能人生」でも初めての事で、これだけの曲が舞われたのにも関わらず、誰も拍手をしなかったのは、それだけ「能に拍手は要らない」と云う事を知って居る人が多かった事(能が終わった後に拍手を聞くと、折角の幽玄さが損なわれる)と、何よりも全演目が極めて緊張感の有る、素晴らしい舞台だったからに相違ない。

寛永10(1633)年、十世観世宗家重成は幕府より今の銀座二丁目近辺に、約500坪の土地を拝領したと聞く。以来明治時代迄の236年間、観世家は銀座を本拠とし、それを証拠に数年前までは「観世通り」と云う名前も残って居た(今の「ガス灯通り」)。

そして昨年、リンカーン・センターで世界の喝采を浴びた700年の歴史を持つ能楽観世流は、銀座で新たな1ページを開いた…この慶事を「鶴亀」の謡で心から言祝ぎ、新たなる歴史に一歩を踏み出す観世宗家に絶大なる期待と応援をしながら、今日は是迄。


月宮殿の白衣の袂 月宮殿の白衣の袂の色々妙なる花の袖
秋の時雨の紅葉の葉袖 冬は冴えゆく雪の袂を ひるがへす衣も薄紫の
雪の上人の舞楽の声々に 霓裳羽衣の曲をなせば
山河草木国土ゆたかに千代万代と 悦びたまへば官人駑輿丁御輿を早め
君の齢も長生殿に 君の齢も長生殿に 還御なるこそ めでたけれ


追伸:東京オリンピックの開会式には、下らない子供染みたグループや歌手なんかより、矢張り「天下泰平 国土安穏」と謡う「翁」が最適だと思う…最近特にキナ臭く為って来た世界と、そもそも「復興五輪」とか云って居た癖に、今では「勝手に帰れ」等と放っぽらかしの福島や熊本の復興祈願の為にも。