揺蕩わない心。

気が付けば、ダイアリーの更新もひと月出来ずに、7月に為って居た…ので、今日は先月の藝術+α体験を。


ー音楽ー
・「青少年名曲コンサート」@静岡市民文化会館:友人の招待で訪れた、静岡交響楽団の映画音楽+クラシックの音楽会。後半は日本人大好きのドボルザークの「新世界」だったが、前半は「インディ・ジョーンズ」や「ハリー・ポッター」、「スター・ウォーズ」等のジョン・ウィリアムズ作品が中心の映画音楽特集。他には「パイレーツ・オブ・カリビアン」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「ジュラシック・パーク」、そして「ゴッドファーザー・愛のテーマ」だったが、僕の世代からすると「映画音楽コンサート」のライナップも大層変わったなぁ…」と云う感じ。それでも大好きなニーノ・ロータが1曲入って居たのには感謝感激で(笑)、その昔「サウンド・トラック・レコード」コレクターだった僕的には(嗚呼、嘗て渋谷に在った「Sumiya」が懐かしい!)、このニーノ・ロータヘンリー・マンシーニフランシス・レイエンニオ・モリコーネ、そして最近なら坂本龍一のメロディが聴きたい。映画音楽の「美しい旋律」は、今何処…。

高橋悠治「プレイズ・サティ」@代官山ヒルサイド・プラザホール:偶然にも、サティの命日に開かれた音楽会へ。高橋悠治と云うピアニストは、その昔クセナキスの演奏で知ったのだが、何ヶ月か前にバッハを聞いた時には首を捻った物の、今回はサティと云う事で、いそいそと出掛ける。最近高橋はサティの録音を40数年振りにしたそうだが、その甲斐も有ってか、小さいホールで奏でられたサティは、優しくノンビリと、そしてフワッとして居て、バタバタして居た此処数日の気分転換には持って来いだった。然し高橋悠治と云う人は、何ともキャラクターで有る。


ー舞台ー
山海塾「卵を立てることからー卵熱」@世田谷パブリックシアター:砂と水が落ち続ける舞台の中で繰り返される、静寂の歩行。然しここ数年、山海塾の舞台は海外でしか観て居なかった所為か、日本で観る事に違和感が有ったのは、一体何故だろう?日本の風土から産まれたモノでも、日本に合うとは限らないのかも。

・「第三回 三人の会」@観世能楽堂観世流の三派、即ち観世宗家・銕之丞家・梅若實家にそれぞれ「住み込み」弟子入りし学んだシテ方、坂口貴信・谷本健吾・川口晃平の三師に拠る会。今回は坂口師が能「野宮」、川口師が舞囃子「藤戸」、そして谷本師が能「邯鄲」を舞う。三師の舞は何れも良かったが、特に「邯鄲」は僕の大好きな曲で、「一炊の夢」と云う言葉とその夢の中での「もう一つの人生」の物語が魅せる。最後の舞の途中で、態と床を踏み外しそうに為って目が醒める、と云うのも曲として良く出来て居ると思う。その後は美味しい天麩羅を堪能…極楽極楽。


ー映画ー
・「48 yearsー沈黙の独裁者」@熱海国際映画祭:ニューヨーク時代の友人でも有る砂入博史監督の、熱海国際映画祭特別賞受賞作品。東京高裁に拠って再審請求が棄却された、袴田巌さんの48年間の拘禁生活を振り返るドキュメンタリーだが、重苦しくは無く、観て居る内に何故か袴田さんとヘンリー・ダーガーが被って来たのが不思議だった。それは半世紀にも及ぶ拘禁生活中、誰からも「独裁」されずに自分の世界を構築し、自分が世界の「独裁者」に為らざるを得なかった袴田氏の言動が、或る種「アーティスティック」と云えるからかも知れない。砂入監督、特別賞受賞御目出度う!


ー展覧会ー
佐藤允「+10」@Kosaku Kanechika:個人的にも大好きな佐藤允君の新作展は、タイトル通り10作品。彼の個性は画面から溢れ、観る者をその世界へと巻き込み、魅了する。その意味で佐藤君の作品は、小手先でないアートその物と云えると思う。展覧会後は皆でディナーに出向き、最近良くお会いする外国人ながら国文学の権威、C先生等と談笑。

・「人麿影供900年 歌仙と古筆」@出光美術館:歌仙絵の展覧会。会場では前日会ったルーブルアブダビ学芸員とバッタリ会い、子供のお土産にしたいと云うので、玩具店を教える。展覧会の注目は、「佐竹本三十六歌仙」が3本出て居る事で(2本はいつでも観れます)、特に個人蔵の「山部赤人」(7/1で終わり)は必見。その他にも岩佐又兵衛派の歌仙図や、其一の描表装の大名品も見もの。

・「ミケランジェロと理想の身体」@国立西洋美術館:同展レセプションへと向かう。「ミケランジェロ」と銘打っては居るが、実際は彫刻2点だけの出展なので、ギリシャ・ローマ、ルネッサンスの彫刻展と云える。世界で40点しかないミケランジェロの彫刻の貸し出しは難しいにしても、もう少し身体素描等が有ると思って居たので、そこが残念。

・「朝倉優佳展」@コバヤシ画廊:デザイナー山本耀司とのコラボが話題になったアーティストの新作展。具象と抽象の間の大画面に描かれる、大胆な色彩のストロークが力強い。作家は最近博士課程を終了したらしいので、その論文も読んでみたい。

・「ジャケ・ドロー 創業280年特別展」@銀座蔦屋書店Atrium:280年の歴史を持つスイスの時計メーカー、ジャケ・ドローの特別展レセプションへ。今回にこのご招待は、この展覧会の為に中国清朝乾隆帝にも愛されたこの時計の歴史と美術品的価値に就てコメントした為。個人的に江戸時代のからくり人形に興味が有るので、ジャケのオートマタの素晴らしさや、エナメル細密画に驚嘆する。

荒木経惟「恋夢 愛撫」@Taka Ishii Gallery:最近パワハラでアート界を賑わした、荒木の新作展。98点にも及ぶモノクロームは、荒木が標榜する「私小説」で満ちて居るが、問題と為ったモデルとの関係性も匂わせる。

・菅木志雄「放たれた縁在」@The Club:小山登美夫ギャラリー「広げられた自空」と同時開催の菅展。「もの派」の特徴で有る空間と素材は、時として芸術性を失い「ただ在るだけ」に為りかねない…そしてそれは展示スペースにも拠る、のかも知れない。コマーシャル・マーケットでの菅作品が、非常に興味深く為る展覧会。


ー文学ー
幸田文「台所のおと」:国文学者C先生に教えて貰った、「音」に関わる小説を読んでみた。幸田文の小説を読むのは実は初めてで、僕の知識内では幸田露伴の娘で映画「おとうと」の作者だと云う位しか無かったが、市川崑監督・岸恵子主演の映画作品は、貧しくも小さな家族の愛を巧く描いて居て、中々良い作品だった。さて本作は、病に臥す料理人が、その夫の為に台所で料理をする妻の包丁捌きや料理中の「音」で、妻の感情や身の回りの小さな世界を理解すると云う話で、これぞ短編小説と云う名作だった!特に最後の「雨」と「慈姑を揚げる音」を聞き間違える処等は、秀逸…と思ったら、孫の青木玉に拠ると、それは露伴のエピソードだとの事。それでも素晴らしい一編でした!

宮沢賢治セロ弾きのゴーシュ」:最近チェリストと親交が有る所為か、実家に帰った時にふと自室の本棚で見つけ、恐らくは40年以上振りに読んだ。然し、何て厳しくも優しいお話なのだろう!「人は決して1人ぼっちではない」「精進は報われる」と云ったテーマは普遍で、賢治の死の翌年(1934年)に出版されたのだから、80年以上経った今読んでも心が洗われる。毎晩イライラしながら動物達と特訓する様は、賢治自身もチェロを習って居たらしいから、若しかしたら彼自身の経験かも知れない。今度チェリストに、何が一番イラつくか聞いてみようと思う(笑)。

原田マハ「たゆたえども沈まず」:パリ市の標語から用いられたタイトルは、弟テオを主人公として進む、ゴッホ兄弟の物語。ジャポニズムの主役達、林忠正や若井謙三郎、サミュエル・ビングやゴンクール兄弟、ドクター・ガシェ、フィリップ・ビュルティやタンギー爺さん、そして勿論印象派の画家達が登場し、世紀末パリのジャポニザン事情を背景に、其々37歳と33歳でこの世を去ったゴッホ兄弟の葛藤が語られる。浮世絵と印象派は実はとても良く似て居て、新しさ故のアカデミズムからの蔑視を乗り越えて、芸術として認められた経緯が有る。その当時最もカッティング・エッジな「現代美術」の有り様は、今のアーティストにも参考に為るに違いない。


ーその他ー
・「青花の会」:神楽坂で開催された骨董市。4箇所に分かれての開催なので、夕方歩いて廻るのも楽しい。或る店に飾って有った梅原龍三郎の小品に心惹かれ、最後迄悩むが、結局諦める。骨董も人生も「諦め」が肝心な時も有るのだ(笑)。

・第20回国際浮世絵学会春季大会@法政大学:理事を務めて居ながらも忙しさに感けて居て、久し振りの大会へ。今回は公私共に長年お世話に為って居る京都の版画商、「絵草子」の山尾剛さんが学会賞を受賞されたので、本当に嬉しい。浮世絵自体が江戸町人文化の生まれの為か、京都では余り重要視されない中、その反面外国人観光客も多い新門前に店を構えて、上方・江戸に拘らない「日本」文化を長年発信・継承されて来た功績は大きい。山尾さん、御目出度う御座います!

・アダチ伝統木版画技術保存財団理事会@交詢社:僕が理事を務めさせて頂いて居る、財団の理事会へ。事業報告等を聴くが、昨今摺師・彫師の人材が深刻に不足して居る事に危惧を覚える。折角美大で教えて居るのだから、次の授業で生徒達に問いかけてみようと思う。

・別荘訪問:諸般の事情でもう数十年も行って居なかった、湯河原の別荘を母と訪ねる。運転を買って出て頂いた能楽師夫妻と向かったが、住所が分かっては居ても迷う。母の記憶では「某大手出版社の創業者の御宅の向かい」だったのだが、肝心のその御宅が中々見つからず、終いには能楽師さんのお知り合いで、僕も小説を何冊か読んだ事の有る女流作家Tさんに尋ねて、やっと別荘に到着。彼の地は想像通り「廃墟マニア」が萌えそうな程の荒れ放題だったが、能舞台の鏡板や柱が無事で驚く。子供の頃には泳げる程大きかった(と記憶して居た)温泉を引いた岩風呂は小さく見え、叔母が中村外二工務店に頼んだ茶室には物が積まれて居て入れず、検分は次回に延期。複雑な感情の母の涙が印象的だった。

・ワールドカップ・サッカー「日本VSポーランド」:今回の日本代表は確かに頑張っては居るが、巷の6、7割がこの試合の最後の10分間を肯定して居る事が、僕には到底信じられない。先ず以って、「ルールに反して居る訳では無い」「決勝トーナメントに行く事こそが目的」「これは勝負だから」とか云う意見が有るが、それならば引き分けでトーナメントに行けるこの試合、最初から最後までキーパーとバックスの間でずっとパス廻しをして居れば良い事に為る。「勝負事」とはそう云う事では無いし、負けてこそ学ぶ事が有るのが「勝負事」なのだから、精一杯死力を尽くして戦うべきでは無いか。これでベルギー戦で大負けしたならば、只でさえ世界の笑い者が大笑われ者に為るだけだし、この「セコさ」は今の日本を象徴して居る様で本当に苛つく。大体主力6人も変えて「温存」等、最後迄戦う世界のチームに対して烏滸がましい…彼等は最後の10分間、死に物狂いで「1点」を獲りに行くべきだった。サッカーだけで無く如何なる事でも、レヴェルの低い者が己のその低さを心底知る事が出来るのは、自分よりレヴェルの高い者と「全力」で戦って散る時だけなのだし、そして「地位」とは、「実力」が伴わねば却って恥ずかしいモノなのだから。


今夜の日本代表には「ベスト●●」等と云う下らない波に揺蕩わず、頑張って欲しいと思う。


追伸:先程、桂歌丸師匠が亡くなったのを知った。もう20年程前の話だが、僕が友人の骨董商の結婚披露宴に羽織袴姿で出席した時、宴に途中で新郎が「おいおい、君は新婦の友人席で落語家に為ってるぞ!」と云いに来た。それは何故なら、和服姿の僕が「桂、桂」と会場で呼ばれて居たのと、意地の悪い新郎が「向こうに居る和服のアイツ、桂歌『麿』って云う落語家なんだぜ!」と吹聴して居たからだったが、知らぬ間に落語家「桂歌麿」にされた僕は、仕方無く袂から取り出した扇子を開いて酒を飲んだり、今度は畳んで蕎麦を食べて見せたりして、新婦友人席から盛大な拍手を貰ったのだった…。他人とは思えない歌丸師匠のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。


ーお知らせー
主婦と生活社の書籍「時間を、整える」(→http://www.shufu.co.jp/books/detail/978-4-391-64148-6)に、僕の「インターステラー理論」が取材されて居ます。ご興味のある方は御笑覧下さい。

*僕が昨年出演した「プロフェッショナル 仕事の流儀」が、NHKオンデマンドで視聴出来ます。見逃した方は是非!→https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2017078195SA000/

*山口桂三郎著「浮世絵の歴史:美人画・役者絵の世界」(→http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062924337)が、「講談社学術文庫」の一冊として復刊されました。ご興味の有る方は、是非ご一読下さい。