ベルリン・フィルの「真髄」@カーネギー・ホール。

10月に入った途端、そして「ロー・カーボ・ダイエット」を始めて1週間経った位に、今巷で流行って居るらしい風邪を引いて仕舞った。エボラ患者がテキサスで見つかったらしいが、ニューヨークでは未だ大丈夫だろう…と思う。

ステーキ・ハウスでもパンやポテトは食べず、寿司屋に行っても豆腐サラダ、刺身、土瓶蒸し、鯛の塩焼きのみを頂き、生まれて初めて寿司屋で「寿司」を食べずに出て来た位ストリクトに遣っているお陰で、体重は落ち、身体は軽くなったのだが、季節の変わり目の気温差にやられた様だ。

然し、そんな事でめげる僕では無い!…と云う事で、ダイエットは行ける所迄行こうと思って居るのだが、マァ明日からの日本出張で途切れる可能性大で有る(笑)。

さて、そんな体調不良を押しながらも、METでの仕事の帰りには現在日本ギャラリーで開催中の特別展「Kimono: A Modern History」を観たりしたが、もう一踏ん張りして頑張って向かったのが、カーネギー・ホールで開催されたサイモン・ラトル率いるベルリン・フィルのコンサート…この晩の曲目は、ラフマニノフ「交響的舞曲」とストラヴィンスキーの「火の鳥」で、謂わば「Russian Romanticism」的選曲で有った。

カーネギーに着いてみると、流石ベルリン・フィル!何時もより高いチケットにも関わらず、超満員で、これも何時もより知った顔が多く、顧客や美術館関係者、当社名誉会長を始めとする同僚の姿も何人か見掛け、挨拶を交わす。

そして観衆からの大歓声の中、大勢の楽団員、そしてサー・サイモンが登場し、最初の演目で有るラフマニノフの「交響的舞曲:作品45」が始まった。

この「Symphonic Dances」は1940年、ラフマニノフ人生最後の作品として、此処ニューヨークはロング・アイランドで書かれた。当初2台のピアノの為に書かれたらしく、初演はラフマニノフ自身とホロヴィッツに拠って、ラフマニノフの家で演奏されたと云う。

第2楽章の何処と無く不安げな「ワルツ」に魅かれたが、この曲は僕に取って正直それ程魅力的では無く、世界最高峰とも云われるベルリン・フィルの「弦」にも、残念ながら合っているとも思えなかった。

インターミッションを挟んでの2曲目は、ご存知「火の鳥」…ストラヴィンスキーの壮大な大傑作で有る「火の鳥」は、4年前のアヴェリー・フィッシャー・ホール、ゲルギエフ指揮、マリインスキー交響楽団の可也りインプレッシヴな演奏を聴いて居るが(拙ダイアリー:「The Russian Stravinsky」参照)、今回はどうだろうか?

そしてその結果はと云うと、ベルリン・フィルの「優秀さ」は確かに判った物の、「ラトル+ベルリン・フィル」は、結局「ゲルギエフ+マリインスキー」の敵では無かったので有る。

さて、ロシアが生んだこの2人の作曲家は「大天才」で有る…が、先ずこの日の2曲には「『東側的』芸術度の濃度」の違いが有る。これは私見に過ぎないが、それは端的に云えば、この2曲の制作年代とその場所に現れて居ると云っても良いのだと思う。

またロシア人で有るゲルギエフの「火の鳥」の解釈は、英国人ラトルのそれとは自ずと異なる筈だし、何方が良かったと云うよりも、「ゲルギエフ+マリインスキー」の演奏の方がより「火の鳥」で有った様に感じた理由は、矢張り「東側的」芸術の再現方法の差なのでは無かろうか?

が、ベルリン・フィルの実力の凄さは、実はこの晩のアンコール曲に拠って証明された…そのアンコールとは、プッチーニ作「マノン・レスコー」の間奏曲。

ラトルの指揮する「弦」は、高目の音階のゆったりとした旋律にこそその偉大なる魔力を発揮し、いきなり僕を涙ぐませた!…そしてその時僕は、この世界最高クオリティ・オークストラの真の顔を確実に見たので有る。

風邪は中々治らないが、明日再び機上の人と為る。