「ニューヨーク・アート・ダイアリー」特別篇:「幽霊」、ニューヨークに現る。

日本は超強力台風が来ているとの事、心配だ…と他人事の様に云えるのは、僕がニューヨークに来て居るからだ。

コロナ禍になってから初めての今回の海外渡航は、飛行機に乗る迄は嫌で嫌で仕方無く、何しろこの3年間、僕は国内便しか乗った事が無かった訳だから、正直行き先が如何なニューヨークでも面倒臭く、現地のコロナ状況も気になるし、実際行きたく無い気持ちが強かった。

さて出発当日、早起きして支度をし、羽田に着くとこれも久し振りのラウンジを経て搭乗した際は、柄にも無く大層緊張して居たのだが、いざ飛んで仕舞うと「ええい、ままよ!」と以前の気分が蘇り、機内で観て不覚にも感動して仕舞った「トップガン2」の興奮も冷めやらぬ侭、僕は3年振りのニューヨークの土を踏んだ。

予想通り、ニューヨークの街にマスクをした人は殆ど居ない。そしてこの街が3年前と最も変わったのは、浮浪者が増えた事と、街中でマリワナの香りがする事だ。合法化された今では、この街ではマリワナが煙草などより余程ポピュラーに為った事が、この香りで実感できる…時代は変わって行く物だ。

今回の旅の目的は、ニューヨークで毎年春と秋に開催される「Asian Art Week」。中国、東南アジア、日本・韓国各分野のオークションが1週間で開催され、クリスティーズはトータル3500万ドル超を売り上げたが、詳細は当社ウェッブサイトで見て貰うとして、此処ではもっと個人的な事を。

ニューヨークに着いてホテルに荷物を置くと、先ずはオフィスでの下見会へ。今のANA便は朝着くので、本当はホテルにチェックインしてシャワーでも浴びたい所だが、仕方無い。午後は展覧会をやっている旧知のディーラーの店を幾つか廻ったが、今年1月に亡くなった柳孝一君の店をもう訪ねられないのが辛過ぎる。

夜はミッドタウンの行き付けの和食店「T」へ、同い年のマスターの顔を見に行く。味は前の侭で美味しいが、マスターが痩せて居てビックリ。そしてこっちはこっちでサプライズで行ったので、僕の顔を見たマスターの目は大きく見開かれ、大層驚いて居た後歓待を受けた。

店に関して云えば、行き付けだったこの「T」やミッドタウンの「G」、チェルシーの「B」等は、メニューと少しのメンバーを除けば余り変わって居ないが、例えばもう30年近く通って居たメキシカンの「R」のアッパー・イースト店は無くなり、ミッドタウンに越して来た店舗に行ったのだが、前のメキシカンな雰囲気は全く消え、何とも安っぽいスポーツバーの様に為って仕舞って居て、ガッカリ。

仕事の方では、中国美術関係のトップ・クライアントを集めてのディナーが楽しく、それはニューヨーク在住時代に公私共に仲の良かったRとCのカップルと同じテーブルだった事も有るが、その他にも旧知のコレクターや美術館学芸員、学者やディーラーが集まり、旧交を暖めた。彼らは僕を見ると一様に吃驚した顔を見せ、まるで居てはいけない人を、或いは見てはいけない物を見た様な顔を一瞬した後、直ぐに満面の笑みに変わるのが面白く、何処か映像作品を観ている様だった。

そして今回のもう一つのお楽しみは、或る重要作品をMETに持ち込み、MET所蔵の作品と比較対象研究が出来た事だ!

この個人蔵の作品は軽く100万ドルを超える価値の有る物だが、METの持つ物と類似する部分が多く、通常こう云った他の所蔵品を持ち込んでの比較検討はかなり難しいのだが、METの好意により実現した稀有な体験だった。その学術的結果は予想通りで大満足…後は買い手を見つけるだけだが、これで売却するにも説得力が付く。

数日前から急に寒くなり、10度位に迄気温が下がったニューヨークだが、最終日の週末は陽射しにも恵まれたので、今回全く治らない時差ボケを抱えながら、朝から散歩がてら馴染みのヘア・スタイリストをイースト・ヴィレッジに訪れ、髪を切って貰う。その後、Zで買ったスパイシー・チキン・バーガーとコーヒーを抱えて、懐かしのブライアント・パークに行ってソロ・ランチ。

5年前の夏、17年間過ごしたこの街での最後の食事を今日と同じ様に取った公園は、まるでコロナ禍など前世紀の事だと言わんばかりに相変わらず人で賑わい、今僕が書いて居るこの文章も、喧騒とビルの間の緑、その上に広がる青空の中にフワフワと飛んで行く感じさえする。

さて、今回はアート鑑賞の時間が余り無くて、展覧会はMOMAではティルマンス、グッゲンハイムではエヴァ・ヘッセ、METでは顧客でも有るジョン・ウェバー氏の着物コレクション展をパッと観ただけで、ホイットニー、ノイエ、チェルシーのギャラリー、そして大好きなクロイスターズにも行けなかったが、これは次回のお楽しみ。

そうこう書いて居る内に、ふと、久し振りに会った人達が僕を見た時にした「顔」に思い当たった…そうあれは確かに、「幽霊」を見た時のギョッとした顔では無かったか?それは、居る筈の無い人間が突然自分の目の前に出現した事実を、即座に判断出来ない時の顔だ。つまり、ニューヨークを去って5年、コロナ禍でこの街に来れなく為った丸3年で、僕はニューヨークでは「幽霊化」して仕舞ったに違い無い。

残念かって?いやいや、それはそれで良い…「幽霊」としてこの街に戻って来れば、足元は掬われないし、忽然と現れて、忽然と姿を消し、自由気儘に行動できるのだから。

 

ーお知らせー

*Nikkei Financial」内「知の旅、美の道〜Journey to Liberal Arts」での連載コラム第16回、「007/チャリティ・ロワイヤル」(https://financial.nikkei.com/article/DGXZQOUB2597A0V20C22A8000000/)が掲載されました。大好きな007フィルムは、今年60周年…アートと007に纏わるコラムです。ご一読を。

*9月1日発売「婦人画報」10月号内、「極私的名作鑑賞マニュアル」の連載10回目が掲載されました(→https://www.fujingaho.jp/culture/art/a41061897/art-yamaguchikatsura-220916/)。今回は「コドモ画報」特集号に因んで、ファンタジーな作品を紹介しています。

*8月30日刊の朝日新聞夕刊に、「アートの伴走者」の連載最終回が掲載されました(→https://www.asahi.com/articles/DA3S15402076.html)。5ヶ月間、ご愛読有難う御座いました!

*Nikkei Financial」内「知の旅、美の道〜Journey to Liberal Arts」での連載コラム第15回、「寝苦しい夜には、背筋も凍るアートを」(→https://financial.nikkei.com/article/DGXZQOUB1453N0U2A710C2000000/)が掲載されました。今回は暑い夜を涼しくするアートをご紹介。ご一読ください。

*いつ見てもタメになる、ロバート・キャンベル先生の公式YouTube、「四の五のYouチャンネル」の最新回、「大正時代の掛け軸を現代に蘇らせた!」(→https://youtu.be/rPBiG2LHjVw)がアップされました。今回は先生が見つけた痛んだ掛軸が、表具師によって綺麗に生まれ変わると云うお話。僕も少しだけ出演しております。是非ご覧ください!

*拙著「若冲のひみつー奇想の絵師はなぜ海外で人気があるのか」(PHP新書)のP. 60の一行目「せききょうず」は「しゃっきょうず」の誤り、P. 62の7行目「大徳寺」は、「相国寺」の間違いです。P. 100をご参照下さい。

*拙著第3弾「若冲のひみつー奇想の絵師はなぜ海外で人気があるのか」が、PHP新書より発売になりました(→https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-84915-7)。若冲をビジネスサイドから見た本ですが、図版も多く、江戸文学・文化研究者のロバート・キャンベル先生との対談も収録されている、読み易い本です。ご興味のある方はご一読下さい。

*拙著第2弾「美意識の磨き方ーオークション・スペシャリストが教えるアートの見方」が、8月13日に平凡社新書より発売されました(→https://www.heibonsha.co.jp/smp/book/b512842.html)。諧謔味溢れる推薦帯は、現代美術家杉本博司氏が書いて下さいました。是非ご一読下さい。

*拙著「美意識の値段」が集英社新書から発売となりました(→https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1008-b/)。帯は平野啓一郎氏と福岡伸一先生が書いて下さいました。是非ご一読下さい!

*僕が出演した「プロフェッショナル 仕事の流儀」が、NHKオンデマンドで2023年3月28日迄視聴出来ます。見逃した方は是非(→https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2017078195SA000/)!

*山口桂三郎著「浮世絵の歴史:美人画・役者絵の世界」(→http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062924337)が、「講談社学術文庫」の一冊として復刊されました。ご興味の有る方は、是非ご一読下さい。