平野啓一郎「一月物語」読了。

平野啓一郎氏の著作「一月物語」を読了した。

縁有って、或る方のお宅で著者ご自身にお目に掛かったのだが、嘗て氏の作品を読んだ事が無かったので、恥ずかしながら翌日本屋に駆け込み、処女作「日蝕」を購入し2日間で読了。次に近作「決壊」に読み、そして2作目である「一月物語」に戻ったのだった(こういう読み方が良いかどうかは判らないが…)。

そもそも僕は、ある時期から全く「小説」と云う物を読まなくなっていて、元来の乱読家としては勿論美術書やちょっとした哲学、自然科学系統の読書はその後の生活でも欠かした事は無いのだが、「小説」を読まなくなったのは、中上健次村上龍(この人の新作は読む)以降良く云われる様に、「小説は終わった」と感じていたから、が正直な所だ。また、もう一人の村上姓の作家の作品を読んで(全く個人的意見だが)、こう云った作品が大ベストセラーになると云う事実に、そして日本文学の現状に嫌悪感を持ってしまった、と云う事もある。

が、しかし…数ヶ月前に冒頭に書いた「或る方」(作家)と出会い、その方が異常に興味深い方だった事で、その方の著作を読み始めたのが「小説」を再び読み始めたきっかけになった次第。そして平野氏もお会いしてみたら気さくな、しかし眼光の鋭い、久々に会った「目から鼻に抜ける」方で有った事も有り、氏の作品を読もうと思い立ったのであった。

日蝕」を読んだ後は、かなり途方に暮れてしまい、それは久々の感覚だった。レトリックは云うまでも無いが、筆力と展開がスゴイ。中世フランスが舞台で、カトリック修道僧が主人公なのに、読んでいる内に何故か時代は室町、カトリック僧は「諸国一見の僧」に思え、最後の処刑の場面等は、頭の中で大小鼓や笛、太鼓の囃子が鳴り響いていた程だった。何だったんだろう、アレは(笑)。

そんな気持ちで氏の近作「決壊」に行ったら、時代は現代、しかし誰の心の闇にも潜む怪物は再び登場していた。そこで「一月物語」…泉鏡花色が濃いが、正しく幽玄の世界である。そして或る種「手に汗握る」作品であった。しかし、個人的にお能にしたいのは「日蝕」の方。今お能にしたい物語、歴史上人物が幾つか有るのだが、その話は又今度にしたい。

今日はこれから、最近行きつけの「BAR BRETON」で食事、その後ブルックリンで「アート・ビート」のパーティーに参加予定である。