3人の「現代アーティスト」との対話。

金曜の夜は、「BASTA PASTA」で高田シェフの料理に舌鼓を打ちながら、友人の現代美術家インゴ・グンター(日本では「ギュンター」と発音するらしい)と食事をした。

インゴのアートは主にインスタレーションで、昨年東京のICC(インター・コミュニケーション・センター)の展覧会、「Light InSight]にも出展されていた作品、「HIROSHIMA THANK YOU INSTRUMENT」が特に有名である。以前にも彼には会った事があったのだが、昨年たまたま日本に帰っていた時に、この作品を初めて体感する事ができた。実際この作品は、意外性・公共性・時事性・科学性に富んだ実に素晴しい作品であった(内容は内緒、調べてみるように)。

インゴはドイツ生まれで、大学でナム・ジュン・パイクの教えを受けながら彼の運転手をしたりして、アートの道に進んだらしい。その人柄は真面目で論理的、優しく、そして超プレイボーイ(これは「人柄」と云えるだろうか…?)らしい。そして、アーティストは須らくそうかも知れないが(失礼)、本人曰く「ボーイフレンドにしたら最低」な男らしい(笑)。

実は彼の誕生日は、筆者と一日違い(獅子座!)なので、来月頭に企画しているアーティスト、林亨君との合同バースデー・パーティーに、インゴも乱入という事になった…盛り上がり過ぎ無いように注意せねば。本当はこういったパーティーの時に、彼のフラッシュ・アートを使うと実に面白いに違いない!等と言っていたのだが、予算がないので敢無く却下…残念至極である。

ところで、BASTAの高田シェフの料理は、非常に芸術的で何しろウンマイ。言わずもがなだが、料理もレッキとした「現代アート」なのだが、シェフは最近クラシックに凝っているそうで、先日敬愛するワイセンベルグラフマニノフのピアノ・コンチェルト3番を貸し出したら、「魂まで震えました!」との事…ワイセンベルグを「神」と崇拝する者としては、実に嬉しかったのであった。

高田さんは、音楽も料理に活かす見本みたいな人でなのである。ワイセンベルグのちょっと機械的な、しかし情熱的な正確さは、ラフマニノフに非常に合っていると思う…そしてこれは、高田さんの料理にも当て嵌るかも知れない。いずれも実は、ロマンティストなのだろう。

さて、昨日は在NY若手アーティスト、鬼頭健吾君のインスタレーション「Flimsy Royal」をブルックリンのロング・アイランド大学のHumanities Galleryに観に行った(鬼頭君の展覧会は今月一杯まで開催されている)。

休日だったので鬼頭君にわざわざ来てもらい、ガラス張りの部屋を開けて貰ったのだが、思ったよりも大きな作品で、宇宙空間から地球に帰還する為に、大気圏に再突入する「ロケット最先端部」の様な木組みの物体が、蛍光灯を取り付けられ光を放ち宙に浮いている。周りはゴールドのシートで囲まれ外からは透けて見えるが、シートの中に入った時の感じとは全く異なるというのも、面白い仕掛けである。

個人的には、この作品は倍位の大きさが有っても(有った方が?)良いのではと思い彼にそう云ったら、本人もそう思っていたらしかった。日本人でスケールの大きな作品を作る作家は中々いないので、このスケール感を大事にして欲しい。その後鬼頭君のSTUDIOを案内してもらい、近くのカフェで珈琲と「チーズケーキ」を頬張りながら色々と話をする事ができた。二人とも先ず「贅肉」に注意せねばならない(笑)。

彼の作品を始めて観たのは確か2007年森美術館の「六本木クロッシング」だったと思うが、ポップな感じなのに何故か有機的で、個人的には最近の彼の作品に登場する「金色」に興味を引かれる。「金」は桃山の屏風絵や、秀吉の茶室に代表されるように高貴にも下世話にも、華美にも陰惨にも成り得る不思議な色で、マテリアルや光によってもかなり趣を変える。その点も有機的と言えるのではないか。鬼頭君の作品は、そんな「無機ー有機」の間を微妙に行き来して生まれて来るアートの様に思えた。

現代美術作品を観る時(食べる時)には、出来るだけその作家と話をする様にしている。アーティストの人柄や思想は、その作品に反映されて然るべき、また反映されていない作品があるとするならば、それは決して良い作品ではない、と思うからだ。

この二人の現代美術家、そして現代料理家の益々の活躍を、心から期待したい。