貴方に取って、「5月5日」はどんな日でしたか?

5月5日は、日本では「端午の節句」、ニューヨークの人の間では「シンコ・デ・マヨ」(1862年に、メキシコ軍がフランス軍を奇跡的に破った、メキシコの祝日)、つまり我が庵地獄パレスでは「ゲル妻の日」で有った訳だ(判る人にしか、判らんな…:笑)。

そんな土曜日は、音楽大生のS君に誘われ、夕方からジャパン・ソサエティーに、映画「ゴジラ」を観に。

ゴジラ」は、云わずと知れた東宝の大ヒット怪獣映画だが、前回このシリーズ第1作を観たのは恐らく大学生の頃…制作年代を考えると、モノクロの良く出来た(頑張った)作品だった位の記憶しか無い。

会場に着くと既に列が出来ていて、その殆どは外国人…こちらでのゴジラ人気が窺える。そして今回この「ゴジラ」を観終わり、振り返って鑑みると、本多猪四郎円谷英二(特撮)監督、宝田明平田昭彦志村喬主演の本作は、明らかに「反核」映画で有ったのだ。

そして、この作品のストーリーと水爆実験に因って海底から蘇る古代生物ゴジラのアイディアは、本作の制作年で有る、1954年3月1日に起きたビキニ環礁での水爆実験に因る、「第五福竜丸」の被曝がヒントに為っているのは、火を見るより明らかだろう。

また1954年(昭和29年)と云う年を考えると、広島と長崎への原爆投下から未だ10年も経たず、世界各地で相次いだ核実験は、唯一の被爆国民で有る日本人にとって、第五福竜丸の被曝はさぞかし恐怖且つ、理不尽で有ったに違いない(と思いたい)。

そう云う意味で、今回の震災後、原発の存在理由と放射能汚染で悩み続けて居る我が国の、映画作家・映画会社が「反核」映画を作らないとすれば、またそれを阻止する動きを取るならば、それは芸術的且つ社会的危機感の余りの欠如と云わざるを得ないのでは無かろうか?

この「ゴジラ」は公開当時、三島由紀夫に絶賛されたと云うが、ゴジラを「伝説上の海神」とダブらせたり、日本の伝統的・アニミズム的な自然への畏怖や、その報復への恐怖と云った「信ずるべき神話」と、核実験と云う「今其処に在る現実と危機」をミックスした辺りは、本当に大した作品だと思う。

日本人映画作家とメジャーな配給元に拠る、ガチな「反核映画」を期待したいのだが…無理だろうか(嘆)。

そんな思いの有った「ゴジラ」観賞後は、もう一人の友人を加えた4人でのゲル妻「お手製ハウス・ディナー」の為に、S君と買い物をして地獄パレスに戻る。

そしてそのもう一人の友人は、大荷物を持って8時過ぎに登場…その友人とは現代美術家インゴ・ギュンター、大荷物とは彼の作品「Globes」で有った(→http://www.donrelyea.com/front_img/worldprocessor.jpg)。

インゴの「Globes」は、本当に素晴らしい作品で、市場経済出生率、人権等の世界情勢・分布状況を地球儀上にカラフルに示し、それを三脚に乗せ、内側からLEDライトで照らすと云う、美しくもコンセプチュアルなインスタレーション・アートなのだ!

この晩インゴが持って来たのは、2つの「Globe」で、1つは「Nuclear Explosion(核爆発を起こした事の有る国家)」の分布図(地球儀上の日本には、当然2つの「エクスプロージョン・マーク」が有る)、もう1つは「Nuclear Range(核ミサイルを持つ国家、そのミサイルの名称と射程距離)」を示した「地球儀」で有る。

インゴが云うには、最近インドが核ミサイル発射実験を行ったと云う事で、この日の為に既にこの作品を「アップデイトして来た」との事…この様な時事性も「Globes」と云う作品の特色で、世界情勢が変化する度に「地球儀」が描き替えられるのだ。

ワインを開け、ゲル妻特製のクレソン・サラダや海老とキノコのソテー、スパゲッティ・ポモドーロを4人でつつきながら、話は昼に観た「ゴジラ」と、地獄パレスに持ち込まれ、照明を落とした部屋で美しく輝く「Globes」の所為で、必然的に「核」の話に為った。

此処でその内容に就いては詳しく記さないが、我が国が42年振りに「原発稼動ゼロ」に為った「この日」に、いみじくも「反核」に就いて考える1日と為った訳だが、夜半過ぎ、インゴが帰り際に云った言葉が、我々の「5月5日」の全てを物語っていたと思う。

「マゴ、ボクは何度でもこの2つの作品を『アップデイト』しに来るけど、ボクは自分が生きている間に、これ等の『Gloves』を何時の日か『黒一色』に塗りたいんだよ…」

日本の全原発が停止した5月5日…放射能の恐ろしさを一番知っている筈の「世界唯一の被爆国」は、一体何時から「被曝推進国」に為ってしまったのだろう?