「日本戦後・現代写真」の時代、到来。

ニューヨークも急に涼しく為り、再び風邪気味に為って仕舞った。

その理由の1つには、この1、2週間日本やアメリカ国内からの来客が続いて昼夜忙しく、当社名誉会長を含めて大コレクターと超重要な打ち合わせをしたり、はたまた某作品を日本から地球の反対側に大至急送る段取りをしたりして、にっちもさっちも行かない程忙しかった事が有るに違い無い。

にも関わらず食の方は相変わらずで、チェルシーの旨いピザ屋「C」やミッドタウンの創作寿司「S」、ソーホーの和食「O」や盟友Mのブラジル料理「B」迄、多種多彩過ぎた料理で胃が疲れた事も原因の一か。

然し、それでも刺激的な人間達との食事は何時も楽しい物で、ブラジリアンに行った晩はガガのシューメイカーT君とその仕事仲間のK君、世界最強画廊「G」のSさんとアート・サイト・ファウンダーのK君とで、各種肉の盛り合わせを突きながらの極々アート談義。

また「O」での一夜はかなり強烈なモノに為って、そもそもは僕の顧客で若き大富豪のH氏を、彼が大ファンだと云う現代美術家S氏に紹介する為にS氏のステュディオに訪ね、写真作品の新作を拝見するのが目的だったのだが、その後3人で行った「O」でH氏が独自のアート理念を披露しながらも「ウニ・ショット」を4杯も平らげた事に因って、事態は急変する(笑)。

其処で元気の出過ぎたH氏は、食後自身が持つ2つのギャラリーでのコンセプチュアル且つ一風変わった展覧会をS氏に観せたいと云い出し、皆で出向いてシャッターを開けて、その恐るべきインスタレーションを見学。その後今度はS氏の発案に因り、ミッドタウンに在るカラオケ・ルームへ向かう事となったからだ!

そして、食事中に写真作品制作に対する鋭い質問をS氏に投げ掛けて居たH氏は、この場ではジンをストレートで飲んで別人の様に盛り上がり、世代の異なる3人の3ヶ国語での歌の宴は、結局夜半迄続いた末に閉会…誠にクリエイティヴな夜(笑)と為りました。

さて本題。広島市現代美術館のチーフ・キュレーター、神谷幸江氏が来月からギャラリー・ディレクターに就任するジャパン・ソサエティで始まる日本現代写真展、「For a New World to Come」のVIPレセプションへ行って来た。

この展覧会は元来ヒューストン美術館で企画された物で、同館の写真部門キュレーターの中森康文氏がゲスト・キュレーターとして参加。会場には同館長のGary Tinterowや神谷氏の他、友人のFergusや富井玲子さん等も来て居て、久々の再会を喜ぶ。

そして肝心の展示はと云うと、作家も作品も森山大道や先日惜しくも亡くなった中平拓馬、東松照明アラーキー石内都から、榎倉康二や野村仁、河口龍夫迄バラエティに富み、流石見応え充分なタイトなキュレーションで、「戦後日本」を様々な角度から検証出来る素晴らしい展覧会と為って居る。

さて最近海外では、アート・マーケットでもアカデミックな領域でも「日本現代写真」がかなり注目されて居て、これは此処数年の「具体」や「もの派」の大ブームに追随する様な形で、一種の「トレンド」化して居ると云っても過言では無い。

其処は学者もディーラーも同じで、今迄他人が触れて居ない領域を研究或いは売買すれば、自ずから新しい研究領域やマーケットを確立する事が出来るからだが、そもそも「写真」が「アート」に 「含まれる」様に為った事自体、極く最近の事なのだから不思議だ。

例えば現代美術家杉本博司氏の様に、『「写真の技術」を以ってして「現代美術」を創る事』が目的と為った時代以前の写真にも、「コンセプチュアル」な作品は存在するが、所謂「現代美術家」で無い「写真家」に拠る「ミニマル」な作品は余り見掛け無い。

この辺に、特に現代では一般的に「版画」が「アート」と認識されて居た関わらず、同じ様にエディションの有る「写真」が含まれなかった理由が有るのかも知れないが、其処ら辺は専門家の意見に委ねたい。

何れにしても、今「日本戦後・現代写真」がアツい…当に「New World to Come」な訳だが、既に「アート」界に旋風を巻き起こし始めた、本展とNYUのGrey Art Galleryで同時展示されて居る、時にコンセプチュアルで時に日本独特の湿気の有る、「モノクロームな戦後」を見逃す手は無い。

今直ぐミッドタウン・イーストとワシントン・スクエアへ走れ!


ーお知らせー
*Gift社刊雑誌「Dress」にて「アートの深層」連載中。10/1発売の11月号は「秘すれば花」な「春画」に就て。