サヨナラ、または旅立ちの季節。

8月も後半になると、会社や学校の新学年が始まる為、NYにやって来る人と去って行く人が交差する。夏の終わりと共に人が去って行くのは淋しいものだが、NYという街はそういう場所だし、用が無くなったら旅立てば良い。

一昨日はイースト・ヴィレッジのイタリア料理店で、NYUに留学していた17世紀スペイン絵画研究者の川瀬佑介氏のお別れディナーに行った。参加者は川瀬氏の他、キュレーターのKさん、アーティストのE氏と写真家Y氏、写真史研究者のK氏そして筆者で、自分を除けば平均年齢は恐らく32、3歳位である。一人でアベレージを上げているが、若い人と会う事が自分の精神の為に非常に重要な筆者にとっては、そう云った場所に呼んでもらえるのは、嬉しい限りなのである。

この川瀬氏は学者にしては(失礼!)非常に明るく良く喋る人で、話もかなり面白い。所謂ノリも良く、地獄宮殿のパーティーの時も最後まで残った内の一人であった。帰国後は長崎県立美術館の学芸員になられるそうだが、こういったきちんとした学識を持ち、しかも話や発想が面白い研究者がスペイン美術を解説したり、レクチャーしたりすると思うと、来館者や受講者はさぞかし楽しく勉強できるだろう。

将来は教壇に立つのかも知れないが、待ち遠しい限りだ(自分も受講してみたい気がする)。川瀬氏は筆者が日本で是非再会したい人であり、これからもその持ち味を大事にして研究して行かれる事を期待している学者さんなのである。

筆者の父親も嘗て大学で教えていたのだが、所謂「学者(男)は黙ってサッポロ・ビール」(古いね:笑)タイプで、自分も長らく学者というのは書斎でだんまり、聞こえるのはカリカリという論文を書いている鉛筆の音だけ、が仕事と思っていた。しかし今の時代は「語り部」がどの学問の世界にも必要であって、自分の研究や意見を如何に外界に「判り易く」伝えられるか、が重要となって来ると思う。

特に美術史などは、そもそも美術品自体が鑑賞者が居なければ成り立たない代物なので、美術品から研究者に伝わる情報を如何に巧くフィルタリングし、噛み砕いて他者に伝えられるかが、これからの美術史家には求められるかも知れない。私見では、アメリカの学者の論文の方が、どの分野でも日本のそれに比べて判りやすい語彙・表現が多用されている様に思うが、如何だろうか。例えば日本美術(絵画)研究誌「國華」などはその典型で、何故未だに(敢えて)旧仮名遣いや旧漢字、古様な云い回しを使用しているのか…不思議である。

幾山河 超え去り行けば 寂しさの 果て無ん国ぞ 今日も旅行く   若山牧水

土曜日に川瀬氏のお別れパーティーがある。9月4日にはバースデーを一緒に祝った、アーティストのトオル君もベルリンへ旅立つ。