自民党は「恥のファンタジスタ」になれるか?

今日は興奮の余り、タイトルを変更して「ポリティカル・ダイアリー」にしてしまおう、と思う。

昔から「自民党・巨人・二子山部屋」がどうしても好きになれなかった孫一だが、今回は久々に溜飲を下げた!この時をどれほど待っていたことか…!

「民主が政権取ったら、政治にならない」「素人集団に何が出来る」とのご批判は、もう結構。その素人集団にボロ負けしたのだから、自民党はサッサと退場すれば宜しい。今は食べる前の目刺の味(民主の政治手腕)をどうこう云うよりも、取っておいた末に腐ってしまった鯛(自民)を捨てる決断をした、国民の勇気に敬意を示したい。何、政治が乱れたらまた選挙をやれば良いし、選挙の度に我々国民一人一人が自己責任を取れば良いだけの話だ。

しかし、NYでこんなにドキドキして総選挙の結果を待った事は無いし、結果を見てこんなに興奮した選挙も無い。いや、日本の皆さん見直しました…此処まで自民を負けさせた日本国民はエライ!!しかし、これで日本は再生への足掛かりが出来たと思う。何故なら「新しい建物」は、「古い建物」を破壊しなければ建てられないからだ。

さて後は「真のリーダー」が出てくるのを待つだけなのだが、「真のリーダー」とは、

1.責任を最後まで取りきる、2.万人に愛される、3.先を見渡す眼がある

人の事だそうだ。これは筆者の祖父の親友で、幼少の頃から教えを乞い、そして両親以外ではこの世で最も尊敬している、ある政治思想家の方の言葉である。

その方は、大学在学中に日本を変えようと革命を企てたが失敗し、政治犯として服役後、自分は一度死んだ身であるとの「覚悟」で国を良くしようと、その命を賭けて活動した。100歳を前に亡くなったが、80年近く毎朝座禅を数時間組み、生涯殆ど毎日3時間のみの睡眠で生活した。そして、いつも「命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は始末に困る人だ。だが、この始末に困る人でなければ国家の大業は果たせない。」と云っておられた。政治が動く時には、いつもその方を思い出す。

「孫一君、君は人生何も恐れる事は無い。恐れなければならないのは、唯一恐怖心そのものだ。」
「君は何物からも完全に自由であり、神仏さえも君を束縛できない。何故ならば全ての責任は、『君自身』にあるからだ。」

等、人間として常に「絶体絶命の際を歩くつもりで生きろ」と云う余りにも実践困難な人生の処方箋を、筆者は青年の頃からこの方に指南されてきた。残念ながら未だに何一つ満足に実践できず、全く以て恥かしい限りなのだが、今でも座右の銘として心に留めている。

今何処の世界も同じだろうが、今回の選挙結果は「古い体質はもうウンザリ」という事だ。政治を此処まで酷くし、世界の笑い者にまでなった、ここ何代かの総理総裁を輩出した「超旧体質」自民党(そして特に小泉純一郎:「チルドレン」は殆ど落選、でも「世襲息子」は当選。最低の極みであろう)は、暫くヘッポコ野党として苦しみ、のたうち、蔑まれ、そして自浄的党内改革の後体制を整え、再び正々堂々と政権を争えばよい。

偶々今、秋山祐徳太子著「恥の美学」を読んでいる。この人は「恥のファンタジスタ」と自称する程のアーティストだが、自民は今こそこの人に学び、この敗北を素直に「恥」として乗り越えれば宜しい。何故なら嘗て秋山氏は、都知事選の落選「泡沫候補」の常連だった人でなのであるから。

アートもそうだが、混沌の中にこそ新しく産まれ出でるモノがある。わが母国も面白くなってきた。