「ダイアナの叔父さん」とニューヨーク・フィル。

昨日、一昨日とお休みを貰い、じっくりとアート三昧。昨晩は「AVERY FISHER HALL」での、ニューヨーク・フィルの音楽会に行った。

そもそも、この日の音楽会に誘ってくれたのは、今筆者の部門でインターンをしているダイアナという、コリアン・アメリカンの女の子。彼女はもう2ヶ月くらい働いているのだが、中々小回りの効く良い娘である。

或る日彼女が、「マゴイチさん、クラシック音楽に興味有りますか?」と聞くので、勿論!と答えたら、「私の叔父さんはヴァイオリニストで、もう直ぐNYフィルのコンサートがリンカーンセンターであるんですけど、そこで叔父さんが演奏するので、もし興味があったらいらっしゃいませんか?」と云う。

昨今NYフィルやジュリアードでも、アジア系の音楽家が非常に優秀で、且つ数も多いと聞くので、さてはダイアナの叔父さんも、きっとジュリアードを優秀な成績で卒業して、NYフィルの若しかしたら「コン・マス」等に為って居るのかも知れないと思い、二つ返事で「行きます!」と答えたのだった。

さて、この日の曲目はブラームスの「ヴァイオリン協奏曲二長調・作品77」と、シェーンベルグ交響詩「ぺレアスとメリザンド」の2曲。実はこの日のNYフィルの定期演奏会は、今月から新任音楽監督となった日系アメリカ人指揮者アラン・ギルバートの「新任シリーズ」の一夕であり、一体彼の指揮とはどんな具合か、ダイアナの「叔父さん」と共に興味津々であった。

7時過ぎに会場に着き、BOX OFFICEに行くと、ダイアナからチケットが預けられて居て、妻とホールへ急ぐ。席が何処かを聞くと、何と一階ど真ん中の素晴しい席…「流石、『コン・マス』の姪御さん!」とダイアナが居ないか見渡すが、見つからず着席する。

暫くすると照明が落ち、先ずコン・マスが登場…すわダイアナの叔父さんか!と思ったが、しかし最初の演目のコン・マスは女性で有った。そして新任音楽監督、アラン・ギルバートがニューヨーカーの盛大な拍手に迎えられ登場、最後にソリストであるドイツのヴァイオリニスト、フランク・ピーター・ジマーマンが登場し、演奏が始まった。

このブラームスのヴァイオリン・コンチェルトは、ブラームス唯一のヴァイオリン協奏曲作品で、非常に有名な曲である。流石、NYフィルの弦は素晴しく重厚であり、良く訓練されていると思ったのだが、次曲のシェーンベルグの時により強く感じたのだが、ギルバートは少々力が入り過ぎていたのでは無いだろうか。

NYフィルの弦が素晴しい故か、特にシェーンベルグの「交響詩」の場合、音が全て大きくドラマティック過ぎる嫌いがあった。力が入るのは、自分の指揮するシンフォニーに母親が居る事(ヴァイオリニスト)とも関係があるのだろうか、等とも想像してしまった(笑)。

さて、一方ソリストのジマーマンだが、最初の方は少々固く何となく頼りなくて、弦も乗らない感じであったが次第に良くなり、例えば第一楽章の彼のソロ・パートでは、観客全てが唾を飲み込む事さえ躊躇う程の、素晴しくデリケートな演奏で(ソロ・パートが終わりオーケストラの弦が入ってきた途端に、観席から一斉に溜息の様な、声にならない声が洩れた!)、これは本当にファンタスティックであった。

この曲をあそこまでデリケートに、しかもエモーショナルに弾くヴァイオリニストは筆者にとって初めてで、そしてその後の彼はどんどん調子を出し、完璧にブラームスを仕上げたのだった。

ツィンマーマンは、スタンディング・オベイションと数回のカーテン・コールに応えた後、筆者の知らない曲をアンコールに応えて弾いたのだが、これがまた筆舌に尽くし難い程素晴しく、筆者はもう殆ど泣きそうになった程で、実際隣の妻も涙ぐんでいた。時折激しく、時に余りに優しく包み込むような演奏で、観客は皆演奏後再び溜息を洩らし、思い出した様に大喝采を送ったのであった。

ブラームスが終わり、インターミッションの間に、会場でダイアナと会う事が出来た。招待のお礼を云い、「そう云えば叔父さんは何処に居たの?」と尋ねると、不思議そうな顔をして「えっ?ずっと弾いてたじゃない!」と云う。

頭の中では「?」マークが浮遊していたが、ダイアナがさもあらん、と云う風に微笑むと、「フランクが私の叔父さんよ!」と云い放った。何とドイツ人のツィンマーマンが、ダイアナの「叔父さん」だったとは!

この「21世紀のNY」に居ながら、不覚にもコリアン・アメリカンの女の子の「叔父さん」は、てっきりコリアンだと思っていた…国際結婚など当ったり前の時代なのに、何たる先入観!!

そして我々は恥ずかしさを隠しながらも、改めての御礼と共に「偉大なる叔父さん」への敬意を、ダイアナに表したのであった。