Will every thing be absolutely fine ?

僕に取って「音楽会」とは不思議な物で、暫く行ってなくても一度行き始めると、立て続けに行く事に為る。

実際此処ひと月を取ってみても、ジャズ1回にオペラ2回、そしてポリーニ2回(NYフィルとのコンチェルトとソロ)と云った具合だが、父が生きて居れば87歳の誕生日だった日本の「文化の日」には、一度は聴いてみたいと思って居たピアニストの演奏を聴きに、再びカーネギー・ホールへと足を運んだ…エフゲニー・キーシンのソロ・リサイタルで有る。

モスクワ生まれのジューイッシュで有るキーシンは、12歳でモスクワ響と共演したショパンのピアノ・コンチェルトを録音発売する等、若い頃から「神童」の呼び声高かったので、もう44歳だと云う事がとても信じられない。

そんな彼のカーネギーでの公演は何時も大人気で、中々チケットが取れず、今回やっとの事で手に入れたリサイタルの演目は、モーツァルトベートーヴェンブラームスアルベニス、そしてラレグラ…そしてそのハイライトは、ベートーヴェンブラームスで有った!

モーツァルトで肩慣らししたキーシンの2曲目、ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ23番」はもう完璧過ぎる程に「熱情」的で、演奏直後には会場全体がスタンディング・オベイション。そしてインターミッションを挟んだ後のブラームス「3つの間奏曲」は、対照的に限り無く静謐で美しかった。

結局アンコールも含めると2時間を超えた力の入ったコンサートは、キーシンの伝説的天才の片鱗を知るには十分だったが、然し個人的には矢張りポリーニのヨーロッパのオールド・ブルジョワ的老成感により惹かれる…僕も年を取ったと云う事か(涙)。

そして2ヶ月振りに日本へとやって来た訳だが、今回の機内では前田敦子がハマリ役を演じた「イニシエーション・ラブ」や唐沢寿明のTVドラマ「白い巨塔」(然し昔のテレビ・ドラマは良く出来て居る…今出来のモノとは大違いだ!)、そして個人的には「Pina」(拙ダイアリー:「Qui était Pina ?…ピナとは何者であったか?」参照)以来のヴィム・ヴェンダース作品で有る、「Every Thing Will be Fine」を観た。

此処の処ドキュメンタリーや短編を撮って居たヴェンダースの新作、主演はジェームズ・フランコとシャルロット・ゲインズブール、そしてレイチェル・マクアダムスで、物語は不慮の交通事故で男の子を轢いて死なせて仕舞った小説家のその後の12年間の人生を、妻や被害者家族との心の触れ合いを通して描く。

全体を通してヴェンダースお得意のドキュメント・タッチの暗い話だが、残念だったのがフランコの演技で、観て居てウンザリ&ゲンナリ…ゲインズブールとマクアダムスがそれなりに良かっただけに、よりその下手さが際立つ。

そもそもフランコはどう見ても小説家に見えず、公私共に唯の遊び人にしか見えないのがネックで、且つ決して演技派でも無いのに「演技派振った演技」が鼻に付く。何故ヴェンダースフランコをこの役に起用したのか、全く以って理解に苦しんだ。

後で思い返せば、偶に巷間で聞くヴェンダース最大の欠点で有る処の「キャスティングのセンスの無さ」が出て仕舞ったのだろうが、序でに脚本にも不満が残る。

それは、本作のタイトルを標榜する「希望的結末」への道程の単純さと結末の陳腐さが最たる物だが、実はこの作品は何と「3D」で撮影・公開されたそうで、それは「『肉体表現』の3D化」を「Pina」で成功させたヴェンダースの「『感情表現』の3D化」への挑戦だったと聞くが、この演技と脚本ではその効果は全く無かったに違いない…幾ら絵具が良くても、絵が下手ではどう仕様も無いのだから。

その意味でこの「Every Thing Will Be Fine」は、僕に取っては今後のヴェンダースの活動に不安を残す一作と為って仕舞い、エンディング・タイトルが流れて居る間、僕はずっと尊敬して居た「ことの次第」や「パリ・テキサス」の映画監督に、

"Will every thing be absolutely fine ?"

と、問い掛けていた…そして、僕自身にも。


ーお知らせー
*Gift社刊雑誌「Dress」にて「アートの深層」連載中。11/1発売の12月号は、恐ろしくも甘美な「趣味」、貴方を魔の道に誘う「蒐集」に就て。