「口説く時」は軽やかに、あくまでも軽やかに、しかし情熱的に。

昨日は、夜までカタログのプルーフィングに明け暮れたが、やっとの思い出でオフィスを抜け出し、リンカーン・センターの「ALICE TULLY HALL」へと走った…ガリック・オールソンのピアノ・ソロ・リサイタル「ALL-CHOPIN PROGRAM」を聴く為である。

このリサイタルは、リンカーン・センター主催の「ショパン生誕200年記念行事」である、「GARRICK OHLSSON:THE CHOPIN PROJECT」と銘打たれた演奏会(3月にもう1ステージ有り、名人たちに拠る「ショパン演奏フィルム」の上映も有る)。

オールソンはNY生まれ、13歳にしてジュリアードに学び(!)、22歳の時(1970年)にアメリカ人として初の「ショパン・コンクール」優勝ピアニストとなった。彼は、2008年にベートーベンのソナタ集の録音でグラミー賞を受賞しているが、「ショパン・コンクール」で優勝したピアニストの殆どがそうである様に、「ショパン」と共に生きてきたピアニストと云っても過言ではない。

余談だが今筆者は、3月のオークションで「茶碗」の売却を予定している、当代楽吉左衛門氏による佐川美術館の茶室建築日記、「茶室をつくった。」を読んでいるのだが、実はその次に控えているのが、平野啓一郎氏の大作「葬送」(文庫4冊)である。この「葬送」はショパンの生涯を描いた作品と云う事で、この音楽会と同時進行したかったのだが、この音楽会も急な話で有ったので間に合わなかった。残念だったが仕方ない…。

「ALICE TULLY HALL」に着くと、もう満員の人だかり。BOX OFFICEでチケットをゲットし、席を探しに行くと何と最前列…。生まれて初めての「ピアノ・リサイタル最前列経験」であったが、筆者の席は壇上のピアノの左下で、オールソンの運指が全てハッキリ見え、彼の息遣いをも感じられたので、非常に貴重な経験をした。

さてプログラムは、文字通り「ALL CHOPIN」。

1.「即興曲」第2番 嬰へ長調 Op.36
2.「バラード」第3番 変イ長調 Op.47
3.「幻想曲」ヘ短調 Op.49
4.「二つの夜想曲」 Op.27 NO.1:嬰ハ短調 NO.2:変ニ長調
5.「スケルツォ」第3番 嬰ハ短調 Op.39
6.「24の前奏曲」 Op.28

そして演奏はと云うと、これが何とも「ショパン」らしい素晴しい演奏で、筆者的に一番良かったのは「バラード」と、大喝采の中繰り返されたアンコール3曲の内の「『ワルツ』 嬰ハ短調 Op.64-2」であった。

色々な意見が有ると思うが、ショパンを演奏するピアニストは「サロンで50人の女性を前にして、『口説き演奏』する感覚」が、先ず必要であると思っている。敬愛する「サンソン・フランソワ」をショパン奏者の第一人者とし、自分が嘗てノクターンを遊びでパラパラ弾く時に、彼の演奏を理想と想い描いていた者としては、ショパンは或る意味「BAD BOY」で無ければならない。その意味でオールソンは「その演奏」に必要な、「タメ」と「コブシ」を見事に弾きこなしたと云える。

さてそうなると、オールソンの演奏が完璧だったかの様に聞こえるかも知れないが、それは全く違う。これは最前列に座っていたからかも知れないが、例えばショパンの曲は「ペダル操作」が非常に難しいのだが、このペダル操作も結構いい加減で、ミスタッチも有り、とても完璧とは云えなかった。

だが「ミスタッチ」が気にならない演奏程、素晴しい演奏も無い。そして最も重要な事の一つに、ショパンの演奏には、譜面上にたとえ「クレッシェンド」や「フォルテ」の指示が有っても、弾く際に必ず或る種の「軽やかさ」が必要であるのだが、オールソンはそれを何の気無しにやってしまうのである…。

またショパン曲の複雑極まりないリズム、連譜、シンコペーション、修飾音、残音効果等を、全くの「個人的解釈=口説きのテクニック」として、フランソワ先生並みに消化している所も素晴しい。ピアニッシモで始める時に、指を置く寸前に吸い込む息、魔法の様に軽やかに鍵盤を走り回る指先、演奏しながら時折聞こえる呻き声(笑)、この髭を蓄えたポッチャリ型の62歳のオジサンは「色気満点」に、そして余りに情熱的に「ショパン」を再現した。

しつこい様だが、演奏者がミスタッチも気にせず、感情の赴くまま曲にのめり込み、聴衆もそれを気にする所か、感動してしまう。こう云った演奏は意外に少ないだろう…聴衆も皆、大興奮でのスタンディング・オベイションであった

オールソンの後はタクシーを飛ばして、行きつけのイタリアン「B」で、友人のジャズ・ピアニストH女史のバースデーを祝う。ジェエリー・デザイナーのN氏、その友人のストーンズのツアー・ベーシストのダリル・ジョーンズ、キースのバンド「エクスペンシヴ・ワイノーズ」のドラマー、チャーリー・ドレイトンや友人達も集まり、ハッピー・バースデーの合唱。

その後は、この日トスカニーニの「トリスタンとイゾルデ」の「レコード」をたった3ドル(!)で購入し、ご満悦の高田シェフやダリルと、オールソンの演奏やショパンについて語り、結局ショパンは「エロい」と云うコンセンサスを得た(笑)。

何故かまた、無性に「ピアノ」が弾きたくなった夜であった…。