「げに何事も一炊の夢」。

展覧会と舞台三昧の、「ジャパン・アート・ダイアリー」もあと数日。昨日は先ずアーティストの流麻二果さんと、近所の行き付けの蕎麦屋「松翁」でランチ。その後チョビッと仕事して、夜は宝生能楽堂での銕仙会定期公演に行った。番組は、「鳥追舟」「子盗人」「邯鄲(かんたん)」で、能には珍しく「嫉妬に狂った女」や、「戦に破れ怨んで化けて出る侍」等が一切出てこない曲ばかり。物足りない気がしないでも無いが。

開演前、小鼓家元の大倉源次郎先生にご挨拶に行くと、楽屋入口で旧知の銕仙会若手能楽師達にバッタリ。気軽に挨拶をしていたら、後ろから観世銕之丞先生もお越しになり、ご挨拶頻り。しかし何時も思うのだが、お能をしている若い人達は、本当に姿勢が良く、顔付きも凛々しい。礼儀正しいのは云うまでも無いが、お辞儀一つ採っても、何時も此方が恥ずかしくなる程である。内弟子の生活は、一般人の想像を絶する厳しさだが、其処で彼等が得る物は、日本人として最高の「芸」と「自信」、そして「礼節」なのである。イマドキの日本の若者に、見習って頂きたいものだ。

閑話休題。やっと源次郎先生にお会いすると、相変わらすハンサムな笑顔で迎えて頂き、最近先生が出されたDVD「大和秦曲抄」を頂戴した。急いで会場に戻り席に付くと、大槻文蔵氏のシテでの「鳥追舟」が開演。領主である夫と長い間離れ、子も「鳥追」等と云う賤しい仕事をさせられる、悲しい妻の役を、大槻氏は押さえの効いた、しっとりとした演技で演じた。また、使用された「深井」の面の素晴らしさに眼を奪われたが、これも職業柄か。

次の狂言「子盗人」は有名な曲で、盗みに入った子好きな男が、子をあやしている内に歌い踊り出し、家の者にバレて逃げる話。そして愈々女流能楽師、鵜澤久氏シテの「邯鄲」である。

舞台は中国蜀の時代。ある青年が生き方に悩み、悟りを得る為に旅に出る。途中「邯鄲」という里に宿り、その宿に伝わる、悟りを得る事が出来ると云う枕で眠りに就くと、枕元に楚国の帝位禅譲の勅使が居り、青年は即位し、五十年間治世する。更に千年の寿命を保つ霊酒を飲み、無上の歓楽の内に「楽」と云う舞を舞う…すると宿の女主人が、飯が炊けたと青年を起こす。全ては夢幻であったが、世の無常を悟った青年は、枕を伏し拝み故郷に帰る、と云う筋である。

筆者にとって二回目の観能となるこの曲は、能の美味しい所満載で、時空を超える演出、精神性、特殊な舞・演技等、観る者を飽きさせない。ワキ座付近に置かれる引立大宮(屋根付きの神輿の様な物)の載った一畳台は、一瞬の内に寝台から宮殿に姿を変え、其処で舞われる「楽」の最中に、シテが思わず台から片足を(わざと)落とす「空下り」と云う演出(人間調子に乗りすぎると足を踏み外す、と云う意味で、夢から醒めそうになる)は、夢から醒める寸前に激しい舞から台に飛び乗り、寝て微動だにしないという、アクロバティックな「飛び寝」と共に、この曲のハイライトである。鵜澤氏は素晴らしい集中力でこれを演じたが、敢えて難を云えば、シテの謡が女性で有るが故に、銕仙会の力強い地謡(筆者は大好きなのだが)と囃子に少々圧されてしまっている様に感じたのが、残念であった。

「邯鄲」は、最終的に青年が故郷に帰った後、本当に悟ったかどうかを示していない。金、地位、名誉等人生に於いては、一瞬にして醒める夢。ウ〜ム、能は深い…。

そんな思いを胸に、「隠れ」優ちゃんファンの友人、クリエイティブ・ディレクターA氏と夕食。ブツゾウやアートの話で盛り上がり、最後は山の上ホテルのバーで午前様終了。帰宅し、彼に見せて貰った、現在発売中の雑誌「ku:nel」に出ている優ちゃんの姿を想い出しながらベッドへ。妻の頭から角が生えてくるのが目に浮かぶが、これも「一炊の夢」ですから、どうぞお許しを…。