「炉開き」と「ウェッセルマン」。

何じゃこりゃ?と云うタイトルだが、双方一日での出来事なのでご容赦を。

昨日は午前中から、裏千家の「炉開き」の茶会にお呼ばれ。最近パトロンも辞め、裏千家批判もしていたので、呼ばれないだろうと思っていたが、恐らくT先生のご配慮でお誘いを受けたので、夫婦で参加。

前所長の山田尚氏が4月に亡くなってから、山田氏不在の初めての「炉開き」はやはり寂しいもので、恒例だったお点前が始まる前の氏のお話や、その笑顔を思い出してちょっと悲しくなってしまった。

今回は、我々が出席した回のメンバーが中々良く、友人のベトナム人ゲイ・デザイナーのリチャードや、京劇をやっている中国系アメリカ人のエリザ、現代美術家森万里子さん等と和気藹々と茶会は進み、中立ちの時も茶会後も、山田氏の思い出話に花が咲いたりした。

因みに今回のお軸は宗淵老師の「金風無尽蔵」、主茶碗は大樋の円相文黒茶碗だったが、一点良いな、と思ったのはデルフト染付けの茶入れで、形は思いっきり「肩衝」。

それでも、主客が裏千家の生徒さんだった為、亭主のアメリカ人F先生との道具に関するやり取りは、面白くも可笑しくも無かったが、それも仕方無かろう。さて、ここで一点苦言を(またか、孫一!)。

点心や濃茶は無いが、「炉開き」なので当然「お善哉」が出たのだが、その善哉が余りにぬるかった!作日のNYは、風も強くかなり寒い日だったので、やはり温かい物を頂きたかったのだが、タイミングがズレてしまったのだろう…残念だ。

茶会後の昼食は、裏千家近所の69丁目の「KAI」へ。

ここは伊藤園が経営している日本食レストランで、味も雰囲気もミニマルで中々宜しい。好物の焼き魚サラダを食べていたら、偶然英国人の古い友人Aが登場。彼は14−17世紀スコットランド及びイングランドを支配した、スチュアート家の直系末裔である。

「サー」の永久称号(ミュージシャンの様に、「一代限り」ではない)を持っているのにも拘らず、どんな時も「決して」使おうとしない変わり者であるが、嘗て兄弟と大喧嘩し、自分の「城」を取られたと激怒していた(笑)のを思い出す(英国貴族には、本当に短気な人が多い:再笑)。

しかしAは昔から実にイイ奴で、筆者とも気が合い、ちょっと老けた今でも「貴公子然」としていた。お互い抱き合い、肩を叩き合って何年振りかの再会を喜ぶ。Aが「お前、まだ会社に居るのか…何年目だ?」と聞くので「17年目だ。」と答えたら、「俺は20年居たから、あと3年有るな…」とニヤッと笑ったが、「Long way to go !」とかわしたので、再び肩を叩き合って大笑い。そうこうしていたら、着物を着てさっきまで茶室で一緒だった、京劇ダンサーのエリザも登場。偶然続きであったが、「逢う時」とはこんなモノだろう。

こんな金曜日の午後は、本当は働きたくないのだが、仕方なく会社へ厭々行き、ちょっとだけ仕事をする。日を改めてまた書くが、現代美術の下見会が始まっているので、階下にチラッと観に行ったら、偶然写真史のPHD取得の為NY留学中のK君に、会場でバッタリ。草間作品について語りあったりしたが、K君も勉強熱心だなぁと感心した。

さて昼間は「和」であったが、夜は思いっきり「AMERICAN POP」と相成り、HAUNCH OF VENISONの「Tom Wesselmann Draws」展のオープニング・レセプションへ。

最初に云っておくが、この展覧会には、ヒジョーに驚いた…筆者の今までのウェッセルマン観を、180度変えてしまう勢いだったのだ!

ドローイングのみの「回顧」展覧会だが、一口にドローイングと云っても、ペン有り、チャコール有り、オイル有り、アクリル有り、アルキド有り、スチール有りで、色々なマテリアルの「素描作品」が揃っていたのだが、その驚きの核となったのは、その「モノクローム」と「ドローイング・ライン」である。

普段見かけるこのアーティストの作品は、大概が極彩色であるが(だからこそ「POP」なのだ)、この展覧会では、マティスピカソにも決して負けない、そのドローイング力の凄さと正確さ、そして「パッション」がスゴイのである。特にアルキド・オン・キャンバスの「Claire」や「Monica」といった「ドローイング」は、実際本当に美しく、力強い。欲しい、と思った。

この展覧会は米国の美術館(名前を忘れた)に巡回するそうだが、それも頷ける。ウエッセルマンというアーティストを見直す事のできる、「必見」のショウである。