海老蔵の恋。

今日は、先ずは「大名品」の焼物を観に、個人宅へ。ホントにスゴイ物で、後は値段交渉だが、そのコレクター曰く「値段提示は一回のみ」との事で、真剣勝負である。頑張って獲らねば。
夜は、浮世絵コレクターの或る方とディナー。場所は今朝からメディアが大騒ぎの市川海老蔵がプロデュースした、銀座の「真魚(まお:店名が婚約者の名前と、オモイッキリ被ってるが…笑)」で、その理由はその方の持つ写楽の大首絵、「四世市川蝦蔵の竹村定之進」をオークションに出品して貰う様、説得する為であった。

この版画は、10か月のみ働いた役者絵師、東州斎写楽の代表作で、「四世市川蝦蔵」(『蝦』の字が異なる)とは、名優であった「五世市川団十郎」の引退後の名であり、海老蔵の先祖である。今は海老蔵団十郎と襲名するが、当時は逆のケースも有ったらしい。

出品交渉の行方は、未だ判らないが、何しろ寿司は旨かった!食事中は、店長との海老蔵の話や、顧客との江戸文化の話で盛り上がったのだが、さあこの辺で本題の「海老蔵の恋」に話を移そう。

さて筆者が海老蔵に惚れてしまったのは、歌舞伎座での襲名公演中の「助六」であった。

江戸紫の着流しに、半開きの傘で顔を隠したまま、屈み腰で花道を進んで来る海老蔵が、花道半ばで立ち止まり、背を伸ばしフッと傘を開いて、肩に担ぐ。端正な、そして鋭い顔が見え、姿の美しさが顕になる。男の筆者ですら溜め息が漏れ、気が付けば興奮の余り「成田屋!」と叫んでいた。
子供の頃から歌舞伎を見続け、女の子(妻を含む:笑)とデートする時も歌舞伎座、と云う筆者も一発でヤラレてしまったのだ。こんなに「華」のある役者を観たのは初めてで、50年に一人の逸材である事に、疑いの余地は無い。真の「御曹司」の誕生であった。

記者会見を見ると、海老蔵は大ノロケで「一生愛し続けます」等と饒舌に語っていたが、此処で断言する。歌舞伎役者が一人の女性で満足する事は、「絶対に」有り得ない(況してや海老蔵は)。幸せ一杯の彼女に水を指す様で忍びないが、梨園の、そして市川宗家の嫁としての生活、ましてや「あの」海老蔵の妻が、本当に彼女に勤まるだろうか?非常に心元無いのである。
筆者が思うに、海老蔵は「今迄と違うタイプ」に、只「恋した」だけだ。筆者はこのキャスターのファンでも何でも無いが、出来れば海老蔵の云う「心の綺麗な人」が、傷付かない事を祈るばかりである。もしこの女性が「聖母」の様な、胆の据わった人物ならば、話は違って来るかも知れないが…。
海老蔵の恋」は始まったばかりである。が、それは決して「最後の恋」では無い。歌舞伎役者とはそう云うモノであり、海老蔵はその最高峰なのだから。