歌舞伎に於ける「近代十種競技」。

昨日、エンパイア・ステイト・ビルディング近くで、発泡事件が有り、2名死亡、9名の負傷者が出た。

あの辺も普段普通に歩く場所だし、況してや犯行の動機は「職場の恨み」、負傷者の何名かは警官の発砲の「流れ弾」に拠る、と云う実に驚くべき事件だ。

こう為ると、アメリカで生きて行くには、「銃」と生きて行く覚悟が必要に為る…「一挺買っておくか」と思わせる、最悪の事件だと思う。

そして此処で、話はニューヨークから東京銀座へ飛ぶ…2日間に渡る東京下見会が、昨日無事終了した。
2日間で170人程の、個人コレクター、美術館、学者、業者、学生、メディア等が来場し、長谷川等仁作「雪景水禽図」(旧明石城襖絵)や「住吉・厳島祭礼図屏風」、能面や鼓胴を観覧したが、早速幾つかの作品にビッドも入り、幸先の良いスタートを切った!

後はニューヨークでの下見会を待つばかり…今回は少々期待出来そうだが、まだまだ楽観は出来ない。気を引き締めて行きたい。

さて、今日の本題。先日新橋演舞場に赴き、クサマヨイと久々に歌舞伎を観て来た。

この晩の演し物は「慙紅葉汗顔見世(はじもみじあせのかおみせ) 伊達の十役」の通し狂言

この狂言名、「恥も外聞も無く、顔を紅葉の様に真っ赤にし、汗だくに為って懸命に演じる」と云う意味で、十役を1人で演じる主役に海老蔵、脇を右近や愛之助、萬治郎等が固める。

東海道四谷怪談」で知られる四世鶴屋南北作、市川猿翁演出のこの狂言は、「伽羅先代萩」等で知られる伊達騒動をベースに、流石先代猿之助の演出だけ有って「一人十役」、「早変わり」や「宙吊り」等の「ケレン」を加え、最後には「巨大ネズミ」迄登場する、一大スペクタクルと為っている。

しかし海老蔵の公演には、何と女性客が多い事か!この日の新橋演舞場も、満員の会場に黄色い歓声と黄色い「掛け声」が、終始飛び交って居た…未だに女性の声での「成田屋!」に慣れないワタクシだが、これも時代の流れか。

さて、海老蔵で有る。

この「十役」には、世継ぎを始め高位・下位の侍、悪坊主、腰元、乳母、花魁、亡霊、忍術使いが含まれ、数で云えば「善」が7人で「悪」が3人…善者から悪者、男から女、年配者から若者、高位から下位の者と早変わりし、その地位や性格、性別毎に演じ分けねば為らないのだから、大変だ。

が、この夜の海老蔵は、見事にこの難役をやってのけたのだ!

その中でも特に荒事役の「荒獅子男之助」、悪役の「仁木弾正」や「土手の道哲」役は流石の一言、しかし意外にも中々良かったのが、女形の大役「政岡」で有った。

海老蔵の政岡、台詞の一本調子が気に為ったが、八汐(右近)が手に掛ける我が子を見殺しにせねばならない母親の断腸の思いを、海老蔵は良く表現していたと思う。

複雑な人間関係を説明する「口上」から大団円迄、笑い有り涙有り、忍術、怪物、幽霊、勧善懲悪、忠義、親子愛、立回り、早変わり、宙吊り迄、有りとあらゆる歌舞伎の魅力をふんだんに取り込んだ、「歌舞伎『近代十種競技』」とでも呼ぶべき「伊達の十役」。

また、そもそも文化12年(1815)7月の河原崎座で、立者の役者が避暑の為休暇を取る中、残った当時25才だった七代目團十郎が1人早変わりで伊達騒動を演じ、記録的な大入を取ったこの狂言、歌舞伎で云う所の「ケレン」(見た目の奇抜さを狙った演出:早変わりや宙吊り、仕掛け物等)タップリで有るが、その「ケレン」味の本来の意味で有る「はったりを効かせたり、誤魔化したりする事」と云った、マイナス・イメージは無かった。

それは、164年振りにこの演目を復活させた猿翁と海老蔵の、その真摯な努力と持って生まれた実力に拠って、「ケレン」すら歌舞伎の「正統」なのだと云う事実を、強く観客に見せつけたからで有る。

海老蔵が本領発揮した「伊達の十役」…歌舞伎と云うエンターテイメントを満喫した、ジメジメした暑さを吹っ飛ばす、素晴らしい舞台で有った。