「ハクライ屋」と文明開化の椅子。

この仕事の醍醐味は、やはり「人とモノとの出逢い」に尽きる。今日は最近出逢った、感動の「人とモノ」の事を。

先ず「人」。

この「人」とは、もう既に何年もお付き合いのある、自称「ハクライ屋」の某有名高級服飾店会長、80代後半のM氏。

M氏は戦後、最初にミッソーニエルメス等のイタリアやフランス産「ブランド」を日本に輸入し販売した人で、今ではメッキリ少なくなった、所謂「銀座の旦那」である。筆者は最初にお会いした時から、何故かM氏に気に入られたらしく、来日する度にランチに誘って頂いているので有る。

さて、筆者がM氏の一体何に感動するかと云うと、それは何しろ彼の「ガッツ」だ!88歳にして、未だチャレンジ精神旺盛、そして新しい物事を吸収しようとする意欲、これ等が誠に尊敬に値するのだ。

M氏に取り敢えず事務所でお会いしたのだが、M氏はこの日も、赤のスエード靴に黄色のマフラーの出で立ちで、相変わらずオシャレ振り。そして今回のランチは、築地竹葉亭のお座敷での鰻コースだったが、食事も然る事ながらお互い話題も尽きず、アメリカや日本の景気、鳩山政権等放談しきり…筆者もご存知の如く「憂国の士」なので、M氏と意見を同じくする事が多く、気炎を上げたのだった。ここ数年外見も全く変わらず(本当に元気!)、この不景気にも前向きなM氏。筆者の様な若輩者は見倣わねばならない…感動しました!

次は「モノ」の話。

これは、ある業者さんのお宅で拝見したモノで、端的に云えば「中国の椅子」であるが、只の中国椅子ではない。査定の時の判断では、明か清朝のモノと云う事だったが、調査の為に椅子を引っくり返した時、ウチの東京スタッフI君が驚くべきモノを発見した。それは椅子裏に貼られた、あるシールだったのだが…。

そのシールには何と、「鹿鳴館」とある。そう、「あの鹿鳴館」である!1883年落成の明治政府迎賓館である「鹿鳴館」は、当時の日本人にとって、「西洋の玄関」であった。さすれば、この椅子にどんな国籍、地位の人間が座ったのか、想像するだけで、胸が高まる。

こういった作品は、もしかしたら値段は高く無いかも知れないが、しかしその歴史的価値は決して低くは無い。例えばこの椅子を購入し、友人の誰かを何も知らせずに座らせてみる事を、想像して見よ!そして、その座っている椅子が嘗て鹿鳴館に在った事実を友人に告げ、友人が歓喜の驚きの声を上げる様子を…。

鹿鳴館の椅子」と「ハクライ屋」、近代日本に於ける2度の「文明開化」は、筆者に大きな、大きな感動を与えたのだった。

M氏のご健勝をお祈りします!