二つの「ダンコン」と、ステーキ丼。

プロポーザルも完成し、先方にも無事届いた様だ・・・これで一安心。が、「コンペ」の結果がどうなるか、である。突貫工事の様なプロポーザル制作であったが、筆者のキャリア中でも屈指、いや、もしかしたら最高の出来のプロポーザルになったと思う。スタッフに「感謝」の一言。

さて日曜は雪の積もった街中を通って、メトロポリタン美術館の「ART OF THE SAMURAI」展を再訪。サンクス・ギヴィング後、展示替えが有ったからである。この展覧会は来年1月10日までだが、未だ観てない人は早く行って下さい・・・観ないと後悔しますよ(笑)。

展示替え後の「目玉」は色々有るが、やはり特筆すべきは桃山時代の「南蛮胴具足」(重文)であろう。この「イタリア製」南蛮鎧は、徳川家康より彼の第10子(!)である頼宣に贈られた物で、現在和歌山県紀州東照宮に保管されている。この鎧兜、驚くべきはその皮革張りの鉄胴に、10個の「弾痕」が在る事だ。

当時ポルトガル人は、鉄砲とキリスト教を日本に持ち込んだ際、当然鉄砲戦に強い鎧も日本に売り込みに来た。この弾痕は、そこで彼らが日本の武将たちの目前で、実際にピストルを「胴」に向かって撃って見せ、弾が貫通せずに止まる所を証明した「証」なのだ。これは彼らの商売上、非常に重要なパフォーマンスだったらしく、さぞかし日本の武将達を吃驚させたに違いない。兜も勿論「イタリア製」で、これは当社が10月にサムライ・セールで売却した作品と酷似していた。何とも「衝撃的」且つ「お洒落」な逸品である。

また変わり兜も、全高67cm.の「黒漆兎耳形兜鉢」や「金箔押栄螺形兜」等、これでもか!のラインナップで、もうスゴイの一言。NY、いや世界の人々の度肝を抜いた展覧会でした。

サムライ展を後にし、日本美術ギャラリーへ移動。今日本ギャラリーでは、「パッカード・コレクション」展が開催されている。このパッカードとは、ハリー・G・パッカード氏の事で、知る人ぞ知る戦後「最大」の日本美術コレクターである。この人は元々富豪でもなく、早稲田に奨学金で通った位の「一般的米軍日本語将校」であったが、戦後の財閥解体やインフレ・財産税等に苦しんだコレクター達の間を「蝶の様に舞い、蜂の様に刺す」と云った「アリ」の様な敏速さで、コレクションを築き挙げた。そして、そのコレクションの質は、疑い無く素晴しい。

展示は「縄文」から始まる。珍しく「全身」が残る「遮光器土偶」や、かなり大型の「車輪石」等流石に良いモノである。また非常に有名、且つ出来の素晴しい「金銅蔵王権現立像」は、平安も早い頃の作で緑青が何とも美しい。絵画も「補陀落十一面観音像」軸等重要な作品が並ぶが、その中でも白眉は何と云っても「パッカード・コレクションの王様」、狩野山雪作「老梅図襖」である。

嘗て妙心寺天祥院の為に描かれた「老梅図」は、何度観ても嘗て山下裕二氏が何処かで仰っていた通り、超「エロティック」で恐るべき「ねちっこさ」と迫力で溢れている・・・。この絵師、何か薬でもヤッていたのでは?と思う程だが、何とも云えぬこの「老梅」は正しく「男根」にしか見えない。山雪と云う人は、婿養子で(これは関係ないか・・・)ちょっと学者肌の人で有ったらしいから、「ネチッコイ」男だったのかも知れん(笑)。他の展示作品も、芦雪の屏風や浮世絵、焼物までバラエティに冨み、このコレクションの幅広さとパッカード氏の眼の確かさが、十二分に窺える。

METの後は友人たちと4人で、お気に入りの「Ben & Jack's」(因みに、「Benjamin」は美味しく無いので、行かない様に。筆者が云うのだから間違い有りません。)でステーキ・ディナー、友人の最近の「コイバナ」等で盛り上がる。何時もの様に、ポーター(T-BONEで、フィレとサーロインが付いている)、リブ・アイ、そしてプライム・リブ、ホウレン草ソテー、シーザーズ・サラダを注文し、これまた何時もの様に残った肉を持ち帰り、翌日家でステーキ丼を楽しんだ。

「パッカードさんも、京都大原の家でステーキ丼を食べたのか知らん・・・」等と詰まらない事も考えたが、二つの「ダンコン」に眼を奪われた週末であった。