Lost in Translation.

年末休みに入った月曜日、ノンビリとバルトークの遺作の「ヴィオラ協奏曲」を聴きながら、このダイアリーを書いている。ベルリン・フィルヴィオラはクリスト(ベルリン・フィルヴィオラ奏者)、コンダクターは小澤。

この作品は、バルトークが母国ハンガリーでのナチスを逃れ、アメリカに移住し白血病で死去するまでの5年間に書かれた4曲の内の1曲で、しかも未完成である。バルトーク没後、弟子のシェルイに拠って補筆されたが、楽器編成等の指示も残っておらず、云ってしまえばこの作品はバルトークとシェルイの共作という事に為る。今となってはバルトーク本人の芸術的意思が、どれ程今聴いているこの曲に反映されているかは知る由も無いが、これも今日のテーマに係るかもしれない。それでもこの作品は「スラヴ」の香りが高貴に漂う、非常に素晴しい現代曲だと思う。

さて最近、田口章子編「元禄上方歌舞伎復元 初代坂田藤十郎 幻の舞台」を読んでいるのだが、この中で歌舞伎史研究家で、国際浮世絵学会でもお世話になった諏訪春雄先生が、成る程と云う事を仰っている。それは「江戸時代というのは、『新しい都』が突如『江戸』に出現したので、地方からの人々が仕事を求めて殺到した。

が、江戸に住み着いた地方出身者は自分の郷里の『方言』しか喋れず、お互いの意思の疎通も儘ならなかった筈である。そうなると芸能の舞台(歌舞伎)でも、特に出演者の『台詞』を役者同士、観客とも共有し辛かった筈で、その為に『アクション』中心の所謂『荒事』が江戸歌舞伎の中心となった。それに対して上方(京都)では、長い『都』の歴史の礎の上で既に『京(都)言葉』が成立していたので、台詞中心の『和事』が発展したのだろう。」と云う事だ。

話は変わるが、筆者がロンドンに住んで居た時の、忘れもしない「嫌な」思い出がある。今の会社の新入社員仲間(勿論日本人は筆者1人)での最初のディナーで、サウス・ケンジントンのイタリアン・レストランに行った時の事だ。筆者がある料理を注文する時に「トメイト・ソース(Tomato sauce)」と云ったら、テーブルの全員とウエイターが爆笑し、友人のドイツ人が親切にも「孫一、『トメイト』ソースなんて云ったらダメだ!」と云う。「では、何と云えば良いのだ?」と聞くと皆声を揃えて「トマート・ソースと云え!」と云う。そう、ロンドンでは、決して「トメイト」と発音してはならない・・・「トマート」なのだ。

此処で皆さんにテスト。以下の「米国語」はロンドンではどう云うか?1)Elevator (エレベーター)、2)Subway(サブウエイ)。では逆に次の「ロンドン語」は「米国語」ではどうなるか?3)To let、4)Ta!。解答はこのダイアリーの最後で・・・。

さて、何でこんな話に為るかと云うと、実はここからが今日の「本題」なのである。

昨日ウチの妻が、夕食後ジーンズの裾を捲り上げて台所で片付けをしていたので、「何故裾を捲っているのだ?」と聞いたら、彼女は「『ぞびく』から。」と答えた。・・・エッ、「ぞびく」?相当狐に摘まれた様な顔をしていたのだろう・・・妻が慌てて「ゲッ、『ぞびく』って云わない?『引き摺る』って事よ!」と云った。そう、山口県「萩」出身の妻が時折話すこの「異なる言葉」は、「長州弁」なのである。

以前にも「何『はぶてる』の?」(問題5)とか、「今日はちょっと私『おであい』過ぎ?」(問題6)等、「?」な妻の発言を耳にした事も有り(この意味も最後に教えます・・・)、当ったり前だが、日本狭しと云えども「言葉」が違うと全く意思の疎通が出来ない!とツクヅク感じていたのだが、この「ゾビク」にはホントに驚いたのだった。長州の方々、怒って成敗しに来ないで下さいね(笑)。

家庭内での「長州弁」から「イギリス英語」、「江戸歌舞伎」まで・・・言葉が違うと「意思の疎通」は難しい、というお話。筆者の気持ち、皆さんに「たった」?、「たわんかった」?



答え:1)Lift 2)Tube 3)For rent 4)Thank you ! 5)何むくれてるの? 6)めかし過ぎ?