闘う「傾き者」の死。

師走に入り、日本も寒さが増して来た…そして、中村屋さんが逝った。

先月日本に来てからも、「どうも難しそうだ」と聞いては居たが、57歳とは余りに早い。ここ数年歌舞伎は、客が呼べる海老蔵玉三郎、そして勘三郎の人気三枚看板でやって来たが、筆者も楽しみにしている来春の新歌舞伎座杮落しの際の役者総見・祝言・口上に、中村屋さんの顔が無いのは本当に寂しい。

中村屋さんの勘九郎時代、そして筆者が高校生の時、G学園の先輩だった中村屋さんの担任だった先生が当時の筆者の担任だった事で、サインをして貰った。そしてその昔、今の仕事に就いて未だ間も無い頃、江戸川橋の御宅にお邪魔して、或る絵画作品を拝見したのも良い思い出だ。

ニューヨークに移ってからは、中村屋さんのお姉さんがマンハッタンでやっている「U」と云うバーで何度かお話しさせて頂いた事、そして「平成中村座」のニューヨーク公演、特に歌舞伎の将来をしかと観た「夏祭浪花鑑(なつまつり なにわかがみ)」の舞台を、一生忘れる事は無いだろう。

また中村屋さんが難聴で療養中、中村屋さんを良く知る或る方と、或る晩神楽坂で飲んだ時の事、店に入って来たその方がビックリした顔で云うには、「いや、直ぐ其処で声掛けられたんだけど、誰かと思ったら勘三郎さんで、『あれ?勘三郎さん、療養中じゃ無かったんですか?』 って聞いたら、『バカ云ってんじゃ無いよ!遊んでないよ…散歩してんだよ!』って、怒られました」…何て中村屋さんらしいのだろう、と思った事を覚えている。

中村屋さんは歌舞伎の「本質」を生きた。それは例えばコクーン歌舞伎野田秀樹串田和美を起用した新作歌舞伎(演劇)の制作や、当世時事性を歌舞伎舞台に持ち込むと云う、「革新演劇」としての歌舞伎本来の姿を現代に蘇らせた事で証明される。

その中でも、筆者が観た幾つかの新作舞台は、正直首肯し辛い物も有ったが、ニューヨークで観た「夏祭浪花鑑」の素晴らしい演出は、恐らくは歌舞伎史上に残るで有ろう「一世一代」の素晴らしい物で有った。

そして中村屋さんの生き様も、太く短く、旧弊や病と闘い、美しい女性に囲まれ、サービス精神旺盛、洒脱で酒好き、それこそ「傾き者」を地で行ったと思う。

人の死は何時も唐突だが、中村屋さんの死の衝撃は大きい…それは歌舞伎界のみならず、古典芸能界や演劇界に於ける「改革者」としての第一人者を失ったからだ。痛恨の極みと云う他には無い。

闘う「傾き者」、十八代目中村勘三郎の死を心より悼む。