「大嫌い、大嫌い、でも大好き!」な、英国。

今日から印象派の下見会が始まった。

今回のクリスティーズの目玉は、2000万ドル付いたピカソとモネ(そしてそれは「睡蓮」では無い!)、その他にも1800万ドルのヴラマンク(しかし、何時からヴラマンクはこんなに高く為ったのだろう?)等の名品揃い…セールは来週の水曜日である。天気の良さそうな今週末は、クリスティーズサザビーズで高額アートを楽しまれては如何だろうか?

さて一昨日の水曜日は、友人達とチェルシーの「B」で食事。日本から旅行中で、来年から(恐らく)「カイカイキキ」で働くと云う大学生Kさん、コウスケ君とゲル妻と4人で、相変わらず旨い高田シェフの料理に「イヨゥ、ホォウ、ポンッ」と舌鼓を打つ(笑)。「B」では相変わらず、キュレーターのT女史や友人のS等の常連達に会い捲り、それもまた一興であった。

続く昨日は、友人のアーティスト、オスカール大岩のオープン・ステュディオとチャリティーに行く予定だったのだが、不覚にも体調が余り優れずにキャンセル…残念至極。と云う訳で、家に戻って休みながら「OVATION TV」を観ていたら、「ロイヤル・ウェディング」が翌日に控えていたせいか、「Diana's Dresses」と云う番組をやっていて、思わず観入ってしまった。

この番組は、1997年6月にクリスティーズがニューヨークに於いて、その持ち主本人の死のたった2ヶ月前に開催した「Dresses from the Collection of Diana, Princess of Wales」セールで、ダイアナのドレスを購入した人や団体を追跡調査し、インタビュー等を交えながらドレスの「その後」を描いたドキュメンタリーである。画面に出て来るパーク・アヴェニューに在ったクリスティーズ旧社屋、車から降りて来るダイアナの手を取り、このセールのオークショニアを勤めた、当時会長で有ったロード・ヒンドリップの様に今はもう居ない社員達等、筆者に取っては懐かしい顔や風景が満載で、思いの外楽しんだのだった(序に、昔「プリンセス・ダイ」と挨拶を交わした想い出も…)。

そして今朝、起きてテレビを付けると、どのチャンネルでも「ロイヤル・ウェディング・ライヴ」一色!何故こんなにもアメリカ人は「ロイヤル・ウェディング」が好きなのか…コンプレックスか、はたまた羨望か…何れにしても過熱気味である。しかし、同時間にやっていた此方のフジテレビでは、新しく公開された津波地震の映像を放映していて、コマーシャルが入る毎にチャンネルを行ったり来たりさせていると、その光景と幸福度の違いの大きさに「やはり世界は広い」と思わざるを得ない。

が、筆者は人の幸福な姿を見ると幸せな気分になるので、暫くの間と云うか、ケイト・ファンとしては結局「Royal Kiss」迄観てしまったのだが、彼女のクラシカルな、装飾も過剰で無く落ち着いたドレスと振る舞い、そしてバッキンガム宮殿のバルコニーでのキスの後の、ほんの少しはにかんだ表情等を見ると、非常にマチュアな感じがして、彼女を惚れ直したので有った。

しかしやはり、ケイトは誰が何と云っても美しい(笑)…貴族出身でない妃は、何とジェームズ2世の2度目の結婚(1673年)以来らしいが(1回目は1660年の伯爵令嬢との結婚)、この2度目の結婚相手は英国人では無いので(イタリア人)、恐らく英国人平民として最初のお妃では無いのだろうか。

そこで画面を見続けていたら、昨日の「Diana's Dresses」も手伝って、ロンドンでの日々が甦って来たのだが、それは研修社員生活を送ったクリスティーズ・ロンドンが、バッキンガム宮殿の直ぐ傍の「King Street」に在って、「St.James's St」を歩くと直ぐに宮殿に行き着く、「散歩道」で有ったからだ。

1992年の11月、筆者は単身ロンドンへ向かった。クリスティーズ・ロンドンでの研修社員生活を1年送る為で、人生初の海外一人暮らし、しかも大学受験がフランス語だった為に、英語を高1以来やっていないにも関わらず、当時220年以上歴史の有る「超」英国企業のしかもロンドン本社…勿論不安も有ったし覚悟もして行ったが、しかし筆者のその覚悟は、まるで「ルノアールのココア」の様に甘過ぎたのだった(笑)。

さて、このロンドン渡航の前に、当時今の筆者のポジションに居た英国人Sが、筆者に告げた事がある。「マゴ、ロンドンには君に取って悪い事が3つ有る…それは、食事と天気と、もう一つは女性だ」がそれで、食事の不味さ、天気の悪さ、女性の不美人さをSは云っていた訳だが、見事その通り、しかも最後の「女性」は「女性」に限らず、「英国人の性格」と云い換えても良い程だったのである。

英国人は、何しろ外国人と外国語(米語も含む)が嫌いである。そしてプライドが高い。一つ例を挙げれば、会社がロンドン到着後の最初の1ヶ月間の為に用意してくれた、家の中に長い廊下の在る2ベッドルームのサウス・ケンジントンのアパートを、何とクリスマスの丁度10日前に叩き出され、仕方無く新居を探す事に為り、やっと見つけたローワー・スローン・ストリートの文字通りの「屋根裏部屋」を契約する際の事である。如何にも、と云った風貌のイギリス老婦人のランドロード(大家)とのインタビューが有った。

老婦人は探るような、蔑む様な眼付で筆者を嘗め回すと、先ず「Are you Chinese or Japanese ?」と聞いた。「I'm Japanese」と答えると、今度は「Are you working or studying ?」と聞く。「I'm working...」と答えると、すかさず「What kind of business are you working for ? Japanese bank ?」と聞くので、「I'm working for British company」と告げると、さっき迄のまるで犯罪者を見る様な疑わしい眼差しは急に影を潜め、声のトーンも高くなり、「Which British company are you working for ?」と聞く。仕方が無いので「Christie's」と答えると、「Oh, Christie's!」と歓声を発し、その後はクリスティーズに勤めている友人の話や、自分が昔オークションで買った作品の話で勝手に盛り上がり、気が付くと家賃は10%オフに為り、新品の湯沸かし器も付けてくれると云う約束までゲットしていた(笑)。余りのレイシズムに腸の煮えくり返る思いだったが、今から思えば、日本の大家でも借主が東南アジア人やアフリカ人だったりしたら、こんな感じになってしまうのかも知れない。

そんなこんなで、慣れない英国企業新入社員生活を始めたのだが、もう理解不能・吃驚仰天のオン・パレードで、その一つは、前にも記したが社内に世界の貴族がうようよ居る事で有った。例えば、上に記したヒンドリップ卿に至っては、筆者が入社した頃には元々「チャールズ・オルソップ」と云う名前だったのに、或る日会社からの全社メールが来て云うには、「チャーリーが家督を継いだので、今日から名前が変わり、『ヒンドリップ男爵6世(6th Baron Hindlip)』に為った」と云うのだ。しかも、この名前を発音する際には、最後の「リップ」を敢えて発音せずに「ルッ」と撥ねて発音し、要は「ザ・ロード・ヒンドゥルッ!」と呼ばねば為らないそうな…唯でさえ仕事が大変なのに、こちとらもう発狂寸前である(笑)。

「天気」に関して云えば、英国人と話す時、シャイな彼らは「天気」の話題から入ると云うのは本当で、しかし何時天気予報を見ても、どうせ一年中「曇り後雨、ほんの時々晴れ間が覗く」ばかりだし、冬に為って、ふとオフィスから窓の外を見るともう真っ暗で、あぁ帰らなきゃ…と思って時計を見るが、未だ午後の3時半だったりするのも(笑)、マジに最悪である。況してや「食」に関しては、もう云う事も無い…金の無い新入社員は、「Canteen(社食)」のタダ飯を食らう訳だが、毎週金曜日の「Fish & Chips」等は史上最低の油臭さ・不味さで、その匂いで「あぁ、今日は金曜日だった!」と気付く程であった。

しかし「住めば都」とは良く云った物で、元々「文化的マゾヒスト」の気が有る筆者には、差別も仕舞には快感に変り、一年の最後の方になると、そんならそれを受けて立って、こいつ等を見返してやろうと云った境地に至り、そうなると、出来ずに散々馬鹿にされた「英国語」の方も少しは上達し、人に聞き返す場合でも「Pardon me」等は決して使わず、必ず「I beg your pardon」か「Excuse me」を使い、「Tomato」を「トマート」、「I can't」を「アイ・カーント」と発音出来る迄に為ったのである(笑)。

そして言葉が出来る様になると、当然周りの対応も愕く程変って来て、仲の良い英国人の友も出来、英国の、特に上流階級の人間達の持つ、時にスノッブで時に嫌味な、そして時にシニカルな態度の中にも愛情すら感じる様になり、ロンドンに行く前にはあれだけ「気取った英国、大嫌い人間」だった筈のに、日本に帰国した頃にはすっかり英国ファンになって為っていた息子に、両親は腰を抜かさんばかりに驚いたのだった。

だが、決して英国の全てが好きになった訳でも無い…元よりムカつく所も多いのだが、しかしこと「英国女性」に関しては、今日晴れて「Catherine, Dutchess of Cambridge」と為った「ケイト」に免じて、この辺で(笑)。