アメリカ式「尊敬」と「称賛」の仕方。

昨日は妻と、ニュージャージーの大型日本スーパー「MITSUWA」に行き、年末年始の買い物三昧。広い店内には、何処から溢れて来るのか!と思うほどの日本人(&アジア人)で、白人・黒人は殆ど見掛けない。

筆者は何しろ「買い物」が苦手で、服等も一切自分では買「え」ない。特にこの様な大型スーパーやデパートに行くと、余りに大量の商品が「買ってよ、お願いだから私を買って!」と、ピガール街の「娼婦」の様に(って判る人にしか判らんが:笑)自分に話し掛けて来る様な気がして、気分が悪くなるのである。唯一1人でも買い物に行けるのは、「本屋」と「骨董屋」だけなので、要は只の我侭なのかも知れん(笑)。

さて夜は偶々チャンネルを合わせた、「32nd The Kennedy Center Honors」の授賞式を観た。この「Kennedy Center Honors」(ケネディ・センター名誉賞)とは、ケネディ家に拠って創設された、アメリカの「パフォーマンス・アート」の分野に於いて長年の功績を記したアーティストに対して贈られる賞で、今年はロバート・デ・ニーロ、メル・ブルックスデイブ・ブルーベック、グレイス・バンブリー、そしてブルース・スプリングスティーンの5人が受賞者であった。筆者がこの番組を観たのは、前述した様に偶然だったのだが、余りの素晴しい「スピーチ」と「ステージ」、そして「式の構成」に何度も涙を流しながら、不覚にも感動し捲ってしまったのだった・・・。

会場は、ブラック・タイとイヴニング・ドレスの人々で満員。3階席中央のバルコニーには、受賞者達とオバマ夫妻が座り、ステージを見下ろしている。さて、この式の「構成」の何が素晴しいかと云うと、受賞者一人一人に対して20-30分の時間が設けられ、最も親しい友人(アーティスト)代表がそのパートの司会をし、そして他のゲストと共に、受賞者に係るパフォーマンスを本人に捧げる、と云う所である。

まず「デ・ニーロ」のコーナーの司会は、メリル・ストリープ。デ・ニーロ主演作品のハイライトを上映し、ストリープに拠る、彼女が共演した「ディア・ハンター」の想い出を基にした感動スピーチの後は、デ・ニーロの大親友、ハーヴェイ・カイテルが登場。カイテルはデ・ニーロと役者デビューが同時期で、云わば40年以上「苦楽を共にして来た」仲間である。

彼のスピーチでデ・ニーロは滔々涙し、観る者も涙を誘われる。しかし久々に「銀幕上で無い」場所で見たデ・ニーロは、「おじいさん」に成ってしまっていた・・・。その後マーティン・スコセッシシャロン・ストーンエドワード・ノートンベン・スティラー等が登場し、短い台詞劇を上演、最後は皆でデ・ニーロへの感謝と祝福の言葉で、会場全体も立ち上がり、3階席に向かってスタンディング・オベイション。そしてデ・ニーロは眼下の人々に対しては手を振り、ステージ上の友人達にはキッスを送る。こう云う所が観ていて気持ち良く、素晴しい。

次はジャズのデイブ・ブルーベック、「Take Five」という名曲で有名なピアニストである。ジャズ・ピアノを少々齧っていた筆者は、この「Take Five」と云う曲を初めて聴いた時の衝撃は、決して忘れる事ができない・・・。この曲の作曲者は、確か彼のカルテットのサックス奏者で、何しろ「4分の5拍子」と云うトンでもないリズムの曲なのだが、ジャージー且つファンキーで素晴しい。当時としては、全く以って「前衛的」な曲であった。

この「ブルーベック」コーナーの司会は、ご存知ハービー・ハンコック。実はこの授賞式当日はブルーベックの89歳のバースデーで、サプライズ・パフォーマンスとして、彼の息子3人(ピアノ、トロンボーン、ドラムス)がカルテットメンバーと共に「Take Five」を演奏、途中に即興で「ハッピー・バースデー」も入り、ブルーベックも感無量のステージであった。

メル・ブルックスのコーナーの司会は、60年来の友人の俳優カール・ライナー。映画・舞台でコメディを貫き通してきた「才能」を、フランク・ランジェラ、ハリー・コニック・Jr.、「Producers」のマシュー・ブロデリック等と、映像とミュージカル仕立てのステージで回顧し、ブルックス喝采を贈った。

スプリングスティーンのコーナーは、ジョン・メレンキャンプに拠る御馴染み「Born in the U.S.A」、スティングのライブ等で盛り上がったが、感動的だったのは映画「7月4日に生まれて」の原作者ロン・コーヴィックのスピーチであった。

コーヴィックはスプリングスティーンと、或るホテルで偶然出会い自己紹介をした時の事、そしてスプリングスティーンの歌で、ベトナムで半身の自由を失って以来、初めて心から泣いた事等を語り、筆者も思わず涙を誘われた。スプリングスティーンは政治的なアーティストで知られるが、その隣に座ったオバマの顔も、涙で歪んでいた様に見えたのは、気のせいであったか。

しかしこれだけスターが揃った昨晩の授賞式で、筆者が最も感動したのは、「黒人オペラ歌手」グレイス・バンブリーのコーナーだった。司会はアレサ・フランクリン、ユーモアたっぷりのスピーチの後バンブリーのドキュメントが上映される。

今年72歳になるバンブリーは、1960年に若干23歳で、「アイーダ」のアムネリス役でデビュー、その3年後にはコベント・ガーデン・デビューを飾り数々のステージを踏むが、当時の「黒人のオペラ歌手」にはさぞかし「差別」が伴ったであろう事は、想像に難くない。バンブリーはそう云った意味で、「BLACK DIVA」の「魁」なのである・・・その点でも彼女の人生とその「歌声」は、尊敬して余りあるのだ。

そしてこのバンブリーのコーナーでは、驚くべきパフォーマンスが待っていた!!それは美しきディーバ、アンジェラ・ゲオルギューがバンブリーの為に捧げた、彼女の十八番「トスカ」からの「Vissi d'Arte(歌に生き、恋に生き。)」である。

あぁ、何と素晴しかったのだろう・・・ゲオルギューがステージに登場した瞬間、会場の雰囲気が急速に緊張し、テレビで観ている筆者ですら、唾を飲み込んだ程だ。そして、云う迄も無く彼女の歌声・パフォーマンスは余りに美しく、涙無くしては聞けなかったのだ・・・何故なら其処には、ゲオルギューのバンブリーへの「尊敬」と「友情」とが満ち満ちていたから。

この「授賞式」に限らず、アメリカでのこう云った「式典」が人々の感動を呼ぶのは、他人の才能を「恥ずかしがらずに」、しかも嫌味無く「尊敬し褒め称え」、そしてその受賞の喜びを受賞者と列席者、延いては視聴者迄もが「シェア」する国民性、そしてゲストに拠るその卓越した「スピーチ(及びスピーチ・ライティング)」と「尊敬を持って演ずるパフォーマンス」である。

番組中に何度も見られた、会場の全員が立ち上がり、後ろ上を見上げ、受賞者に向かってオベイションを贈るシーンは、受賞者もそれだけで、感動で胸が詰まるのでは無かろうか。我々日本人にとって、嫌味無く「尊敬」や「称賛」を態度で示す事は余りに難しいが、それが出来るアメリカ(西洋)人を何故か非常に羨ましく思った。こう云った「授賞式」が、何時の日か日本でも出来る様になれば良いのだが・・・(日本の「授賞式番組」は、全く以って下らなく、悉く詰まらない)。

今年もあと一日・・・。年の終わりに、素晴しい「パフォーマンス・アート」の「感動」を貰いました。