「許せんインチキ」と「許せるインチキ」。

ネットで日本の新聞を読んで、驚いた。元阪神のエース・ピッチャーだった、小林繁氏が死去したとの事。まだ57歳であったらしい。

若い人はこの人の事を殆ど知らないだろうが、当時筆者に取って小林投手は、「精神的ヒーロー」であった・・・こんなに「男気」の有った人は、今のスポーツ界を見渡しても居ないのではないか。

小林投手は巨人軍のエースとして、その前年まで3年連続二桁勝ち星を挙げ、優勝にも貢献し、自身も沢村賞を取って大活躍していたにも関わらず、1979年の「空白の一日」に巨人と契約をした、「怪物」江川卓との「インチキ」交換トレードに因って巨人から阪神へ放出(トレード)された。

が、その全く「理不尽な」トレードにも関わらず、文句の一つも云わずにその年は22勝を上げ(対巨人戦は8勝負け無し)、二度目の沢村賞を獲得、阪神ファンの溜飲を下げ捲くり、「気骨有る男」としての尊敬と栄光を手にした「大投手」であった。引退の時も、その年二桁勝利を挙げながら、力の衰えを理由にあっさりと31歳で辞め、その後はキャスターやコーチとして活躍していた。

この「空白の一日」事件は個々に調べて頂きたいが、これは本当に「許せんインチキ契約」で、以前このダイアリーにも書いたが、筆者が「自民党」「二子山部屋」と共に「巨人」を大嫌いである大きな理由の一つである。今でもそうだろうが、「巨人」と云う球団は本当にセコい・・・要はあんなインチキまでして勝ちたいのか、という事だ。まぁ、今でも何処かのチームの4番打者を「金」で買って来て優勝している位だから、推して知るべし・・・。

しかし当時「巨人」が、16歳だった筆者を含めた青少年の「夢」を壊した罪は大きい。ご存知の通り、それ以来筆者は「反体制派右翼」となってしまったのだから(笑)。

さて、その「許せんインチキ」である「空白の一日」の時代に、筆者が熱狂した「許せるインチキ」が存在したのだが、それは何か?そう「プロレス」である!では、何でこんな話になったかと云うと、話は一昨日金曜の夜に遡るのだ。

金曜の夜は、筆者夫妻、24日にブルー・ノートでの公演を控えているジャズピアニストH、アーキテクトSと4人で食事をした。良く行く和食屋での食事は、相も変わらず朝3時までとなったのだが、そこで「プロレス」の話題が出たのだった。何故なら、一緒に居たH女史が、妙にプロレスに詳しかったからである(笑)。

何を隠そう当時筆者は、友達と「後楽園ホール」にプロレスを良く観に行っていた。全日本プロレス系の「NWA(Natinal Wrestling Association)」と新日本プロレス系の「WWF(World Wrestling Federation)」の2大団体が有名で(あと「AWA」と云う組織も有った)、馬場やファンクス(ドリー&テリー)、悪役ブッチャーは「NWA」、猪木やハンセン、タイガー・ジェット・シンは「WWF」と云う具合であった。

好きだったNWAのチャンピオンは「ハンサム」ハリー・レイス(バーティカルスープレックスが得意技)、WWFでは「ニューヨークの帝王」ボブ・バックランド(アトミック・ドロップ)等が居たりしたのだが、個人的に一番盛り上がったのは、やはりNWAの「世界最強タッグ」である。

この「世界最強タッグ」は2人のレスラーがタッグを組み、リーグ戦を行う。日本人「ジャイアント馬場ジャンボ鶴田」組、「ザ・ファンクス(ドリー・ファンク・Jr,&テリー・ファンク)」、悪役「ブッチャー・シーク」組、覆面兄弟コンビ「マスカラス・ドスカラス」組等々個性的レスラーが出場し、「お約束」のワザ、反則、流血、全てがある種の「ヤラセ」である事が明白であっても、ナンのその・・・大興奮であった!

食事中にもう一点盛り上がったのは、それはレスラーの「ニックネーム」と「音楽」である。当時各レスラーには「ニックネーム」と「入場曲」が決まっていて、例えば「黒い呪術師」アブドーラ・ザ・ブッチャーのテーマ曲は、何と「ピンク・フロイド」の「One of these days(吹けよ風、呼べよ嵐)」、「テキサス・ブロンコ」ファンクスは「クリエイション」の「Spinning Toe Hold」、「千の顔を持つ男」ミル・マスカラスは「Sky High」、「南海の黒豹」リッキー・スティムボードは「ライディーン」等、誰が決めたか知らねども、何とも渋ーい選曲であったのだ。

それと、「プロレス」と「音楽」と云えば、筆者には忘れられない想い出が有る。それは筆者も実際に観戦に行った、1991年に東京ドームで行われた「ドラゴン」藤波辰己と「狂乱の貴公子」リック・フレアーの、「NWA世界ヘビー級タイトルマッチ」での事である。

この歴史に残る「ドーム」でのイベントは、メイン・イベントである上記タイトルマッチで最高潮を迎えたのだが、驚いたのはこの試合に先立って、両国の「国家斉唱」が有った事だ。が、その時の大きな疑問は、誰が国歌を歌うのか、であった。

さて、その旨のアナウンスが有ると、観客は歓声を上げながらも全員「起立」し、先ずはチャンピオン、リック・フレアーの母国アメリカ国歌斉唱。出て来たのは、さあ誰でしょう・・・「ジョー山中」であった!!静まり返った東京ドームにジョーの素晴しい歌声が響く。そして、歌い終わると観客からの割れんばかりの拍手と歓声・・・思わず大感動して仕舞った。

そして我が国の国家斉唱・・・「君が代」である。アメリカが「ジョー山中」と来るなら、日本は誰だ!固唾を呑んで待っていると、アナウンスが有った。「それでは、国歌『君が代』の斉唱です。歌って頂くのは・・・『ジョニー大倉』さんです」。

何とジョニー大倉…流石はプロレス、「ジャンキー・コンビ」「名前が半分英語コンビ」「逮捕歴有りコンビ」で来たか!しかしジョニーの「君が代」は、「君が代」と云うよりは「俺が世」と云う感じであった(笑)。当然この両国「国家斉唱」は、「プロレス」らしく余りにもインチキ臭かったが、しかし両歌い手が一生懸命に歌った事も有り、何とも云えぬ「味わい」が有ったのである。

「プロレス」は愛すべき「インチキ」である。そして「紳士面した」巨人軍より、よっぽど正直なのであった。
「気骨の投手」小林繁氏のご冥福を、心よりお祈り致します。