ダメな日本人の私。

昨日の晩は、東京支社から現代美術セールの応援に来ている、G君と食事。

G君はNYUの学生だった頃、筆者の部門にインターンとして来、その後彼はニューヨークの別の会社に就職したのだが、ウチの部署に空きが出来た時に入社、数年前から東京勤務となっている若者である。レストランに着くと、カウンターには最近骨折した常連のN氏、そして何と隣のテーブルには、こちらも常連の巨人Jと筆者の同僚の美しきインド人女性のSが!序に、某美大学長でNY在住の日本画家S氏もご家族で居らしていて、挨拶頻り。

G君との積もる話をTシェフの旨い料理と共に終えた頃、アーキテクトSがジョインし、その後「逆流妻」も合流。帰り際には、カウンターにピアニストH女史とジャズ・ギタリストM氏も発見…楽しい一晩であった。

そして今週の現代美術ウィークが終わると、何だかんだで来週から1月程、NY→日本→香港→日本→NYの出張…9月のオークションに向けての作品集めと、香港でのオークションに赴く。

そんな中、最近一冊の本を読了した…久我なつみ著「アメリカを変えた日本人 国吉康雄イサム・ノグチオノ・ヨーコ」(朝日新聞出版)である。この本は、サブ・タイトルに記された、アメリカで良く知られている世代の異なる日本人と日系人3人が、どの様にアメリカに生まれ、渡り、生きて来たかを著した作品である。特に戦時下の日本人収容所でのイサム・ノグチや、国吉のサンフランシスコでの差別、オノのフルクサス活動の箇所等は知らなかった事も多く、特に読み応えが有った。

が、今日の話題は実はこの本の事では無く、何となくこの本に関わる所の、筆者が昨日久々に「ダメだな、俺って…」と感じた事なので有る。

さて昨日、筆者は朝2時間と夕方1時間半の2回に渡り、新しくなった会社組織に関する「USシニア・マネージメント・ミーティング」に出席した。

クリスティーズは、半年前に新しいCEOを外部から迎え、「ワールド・リーディング・アート・カンパニー」として、より強いブランディング力と組織の簡明化等に取り組んでいるのだが、そんな中筆者が昨日出席したのは、クリスティーズアメリカのシニア・マネージメント達40名程がボード・ルームに集まり、エクゼクティヴ、スペシャリスト、サポート、ビジネス・ディヴェロップメントの4つのグループ分かれ、これからの会社の方向性や変革を話し合い、お互いの部門に向けてのQ&A等をすると云う試みのミーティングで有った。

出版・音楽畑で辣腕を振るったCEOのSとアメリカ法人の会長であるMを中心に、長いテーブルを囲むニューヨーク・ベースのシニア40人の中で、日本人、と云うかアジア人は筆者唯一人。何とも寂しい状況では有ったが、もっと寂しかったのは、己の余りの「不甲斐無さ」で有ったのだ!

そもそも筆者は純粋「スペシャリスト」で、マネージメントには余り興味が無く、知識も無い。しかも英語がネイティヴでは無いし、今回アメリカに来たのは37歳の時で、大学を此方で出た訳でも無い…と、云い訳をすれば山の様に有るのだが、悲しい哉、所詮全ては云い訳に過ぎない。

そして筆者に何が起こったかと云うと、この長い会議中、ワタクシはたったの「一言」も発言出来なかったのである!

先ず、何時も「作品」の事ばかり考えている身には、「会社」に関して考えるのが難しい。そしてそれを英語で考え、話すのも難しい。況してや、ディベートやスピーチに子供の頃から慣れ、社内権力闘争に打ち勝って一階級でも上に進もうと云う輩の中で、このシャイな私が発言するのはもっと難しいのである。

と云った理由と云うか云い訳は、「世界」では全然通用しない事も十二分に判っているのだが、「日本の教育しか受けていない日本人が、こんな状況で自分の革新的意見を云えるかっつーの!」と、イングリッシュ・ネイティヴイサム・ノグチはともあれ、国吉康雄オノ・ヨーコに対して、全く以って顔向けできない云い訳をまたしている孫一で有ったのだが(涙)、あの時代のアメリカで、「日本人」として成功した彼らはスゴいの一言に尽きる…その点は、如何に「歌」が酷くても、マジに尊敬せねばならない。

久々に、自分が「ダメな日本人」に思えた日でした…クッソー!