「プロ中のプロ」との別れ。

一昨日ニューヨークに着くと、機外の気温は摂氏零度。

JFKからマンハッタン、そしてヘルズ・キッチンの自宅へ帰る道すがら、街中の美しいクリスマス・デコレーションに眼を奪われる…ニューヨークのクリスマス・シーズンのデコレーションは、街行く人やそのワサワサした雰囲気も含めて、日本で見る物とは全く異なり、この晩友人にホリデー・ディナーに呼ばれた東60丁目の「D」に行く途中の、例えば「プラザ」の辺等はまるで映画のワン・シーンの様に美しかった。

さて話は昼前に自宅アパートに戻り、NBCのニュースを見ると、吃驚仰天…何と金正日が死んでいた!

今年は云わずもがなだが、ムバラクの失脚やビン・ラディンカダフィの「処刑」、これだけでも世界政治情勢の激変が窺えるが、何と金正日迄も!それに引き換え日本のリーダーと来たら…殺される程のリーダーシップすら取れない、と云うか、暗殺の価値も無いと云う事で有ろう…全く以て、情け無いったら有りゃしない。

…等と云っていたら、今度は森田芳光監督の訃報…筆者に取って森田監督と云えば、何しろ秋吉久美子トルコ嬢(現ソープ嬢)を演じた監督デビュー作「の・ようなもの」と、松田優作主演の「家族ゲーム」、そして沢田研二がテロリストを演じた「ときめきに死す」の3作で、「の・ようなもの」はあの秋吉が…と云う事と、落語家の恋の一風変わったコメディ作品で有ったし、「家族ゲーム」の方は時代性豊かで、家族が全員前を向いて一列で食事するシーンが印象的だった。また「ときめきに死す」は、丸山健二の原作の面白さ(少々映画とは異なる所も有るが)沢田研二樋口可南子の色っぽさに痺れた。森田監督は享年61歳との事…早過ぎる死を御悼みする。

そして今日もう一人、筆者に取って忘れられない人物の訃報を聞いた…上田馬之助氏である。

上田馬之助を知っている人等、大分少なくなってしまったに違いないが、彼はトレードマークの金髪に竹刀を何時も持って、タイガー・ジェット・シン等とタッグを組み、悪役の名を欲しい侭にしたレスラーである。

上田馬之助はまた、たけしの番組等にも出ていたのだが、何時の日かその姿を画面で観なくなっていた…ああ云う風貌の人に限って人格的にも優しい所が有ると思うのだが、そんな事も世間には知らせずに逝ってしまったのだろう。淋しい限りである。

しかし「別れ」とは、何も「死別」ばかりでは無い。今日筆者に取って尊敬すべき一人の男が、会社を去って行った。その男の名はG…彼はクリスティーズ・ニューヨークの名物「ドア・マン」で有った。

Gの凄い所は、単なる有名オークション・ハウスのドア・マンと云うだけで無く、顧客一人一人の顔を必ず覚えていて、その時々にその時々の挨拶が出来ると云う、恐るべき記憶力と社交性を兼ね備えた「顧客がクリスティーズを訪ねて来て、最初に出会う」、類稀なる「『プロ中のプロ』のドア・マン」で有ったのみならず、「営業マン」だった事である。

ヤンキースのピッチャーだった(と聞いた事が有る)彼は、誰に云われなくとも毎日朝から夜迄黙々と働き、晴れの日も雨の日も、風の日も雪の日も、Gはいつも笑顔で世界中から来る富豪や著名人を迎え、タクシーを拾い、荷物を持ち、オークションの無い日には、街行く観光客に気さくに声を掛けた。自分の仕事にプライドを持ち、「好き」でなければとても出来ない事だ。そのお陰で彼には、顧客からの年間のチップ総計が給料を上回るのでは、と云った「伝説」すら有った。

ニューヨークに来て11年、Gの笑顔や掛けてくれた暖かい声に、筆者は何度助けられた事だろう?…「9・11」の時も、「3・11」の時も…。そして午後、そのGを会社の玄関で見かけ声を掛けると、彼はニッコリと微笑みながら、此方に向かってきた。そして僕らはお互いにハグをし、お互いに背中を叩き合った…お互いの眼に薄らと涙を浮かべて。

Gは「元気でな、マゴ…奥さんにくれぐれも宜しくな!」と筆者に告げ、元気良く歩き去った。そう彼は、ほんの時折ビューイング・レイディ(下見会で顧客に商品を見せる役割の女性)として働く筆者の妻迄、気に留めていてくれたのだ。

去って行くGの後姿に、再び筆者の目頭は熱くなった…。

「プロ中のプロ」の後姿が、何とも素晴らしく格好良かったからで有る。