破壊された「アート」と、破壊した「人」。

先日新聞で、メトロポリタン美術館に展示中であった、ピカソの1904-5年頃制作のローズ・ぺリオドの傑作「ACTOR」が、レクチャー中にバランスを崩した来館者に因って、カンバスが破かれたと云うニュースを知った。

METに拠ると、構図的には支障の無い部分の裂だったらしいが、真偽の程は修復後の絵を観てみなければ、何とも云えない。それにしても可愛そうなのは、破いてしまった人である。わざとやった訳では無いし、レクチャーを聴いていた程だから、ピカソの大ファンかもしれない。

そんな人が時価90億はしようと云う名作にダメージを与えてしまったのだから、「真っ青」位では済むまい。しかしこれをやったのが、もしオークション・ハウスの社員だったら、自責の念の余り自殺してしまうかも知れない…笑えないが(笑)。

美術品のプロからすればこの事件は、先ず金銭面で云えば、絵画には当然保険が掛けられているし、ダメージ面にしても、この世の森羅万象何れは滅する運命に有るので、戦争などで破壊されたりする事を思えば、全然罪は軽いと思う。

さて、日本美術に於ける美術品の「破壊」の有名な例で云えば、ご存知の方も多いと思うが、現在重要文化財に指定されている井戸茶碗、「筒井筒」の話がある。

秀吉が筒井順慶より呈され愛蔵していたこの茶碗を、小姓が誤って落とし「五つ」に割ってしまう。当然秀吉は激怒し、その小姓を手打ちにしようとするが、其処に居たインテリの細川幽斎は、「伊勢物語二十三段」に有る歌「筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹(いも)見ざるまに」のパロディ歌、

「筒井筒 五つにわれし 井戸茶碗 咎をば我に 負ひしけらしな」

を詠み、秀吉の怒りを静めたと云う。この話は流石「インテリ」幽斎の機転と優しさ、茶室での「お茶」の精神にも繋がる良い話である。さぞかし小姓は命を救われ、喜んだであろう。

もう一つ、オークションに関わる最近の有名な例を挙げよう。当社の恐らく5本の指に入る大顧客で、ラスベガスのカジノ・オーナーのW氏は、自分のカジノの上に美術館を作り、其処に素晴しい印象派・近代絵画のコレクションを展示しているのだが、4-5年前にその「衝撃の事件」が起きた。

さてW氏はその事件の数週間前に、自分の所有するピカソの「夢」と云う作品を投資家C氏に売却する事に決めていた。この「夢」は、嘗て某日本人コレクターが所有していた作品で、この某氏という方は恐るべき「眼」の持ち主なのであるが(日本人がせっせとルノワールゴッホを落としていた当時、彼はピカソマティストゥオンブリー、マーデンやライマン等を落としていたのだ!)、1997年にクリスティーズ・ニューヨークで売却、当時4840万ドルの価格でW氏が競り落とした「大名品」である。W氏とC氏は、この絵を何と1億3900万ドル(約140億円)で売買する事を取り決めていたのだ。

その事件は、W氏が絵の説明をゲストにしている最中に起きた…説明中に熱くなったW氏は、振り向き様に何と右の肘で「この絵」を破ってしまったのだ!!ゲストからは悲鳴とも溜息とも付かぬ声が洩れ、その「やってもうた」W氏がゲストに向かって云った言葉は

「I can't believe I just did that. Oh shit, oh man...(僕がたった今これをやってしまったなんて信じられん…畜生、何てこった・・・)」

しかし、流石マフィアとも対等に仕事をしているW氏はその後、

「Well, I'm glad I did it and not you.(まぁ、これをやったのが、君らじゃなくて僕で良かった)」

と云ったそうな。今となっては、この有名な事件は「$40−Million Elbow(4000万ドルの肘鉄)」と呼ばれている(笑)。

因みに筆者も、某印象派作家の素描を、印象派部門での研修社員時代、「カタログ中」に破いてしまった事が有る。その作品は3万ポンド位の作品だったが、その瞬間はもう顔面真っ青、即「首!」と云う文字がちらついた…。

早速その「事故」をフィンランド人の上司に報告すると、相当青い顔をしていたのであろう、彼は筆者の肩を抱き、「大丈夫、大丈夫。その為に保険が掛けてあるのだから。」と慰めてくれた。自分が「小姓」になった気分であった。後で聞けば、こう云った「事故」は良く有る事で(有ってはいけないが)、却ってその後美術品の扱いには、本当に慎重になったのも事実である。

「アート」は「人」の手を介して初めて存在する「モノ」なので、偶には「壊れる」事もある。

壊れる事によって金銭的価値が下がるのは否めないが、そのモノ自体の価値は揺るぎない…そう云うアートが「最高のアート」なのだ。