「調律師」@国立能楽堂。

「第83回アカデミー賞」は、我らが「英国王のスピーチ」が、「インセプション」や「ソーシャル・ネットワーク」等を蹴散らし、作品・監督・脚本・主演男優各賞のオスカーを獲り、一人勝ち。

此れは、筆者からすると当然至極の結果で、何故なら「スピーチ」の映画芸術としてのクオリティは、上記2作品のそれとは、明らかに雲泥の差だと思うからだ。コリン・ファースは、この受賞で「名優」への道を、真っしぐらに進むだろう…コングラッツ!

さて昨日の夜は、新婚の友人A君と、千駄ヶ谷国立能楽堂で待ち合わせ…新作能「調律師」を観る為である。

この新作能の話は以前、今回シテを舞われた観世銕之丞師から伺っていたのだが(拙ダイアリー:「『PREVIEW』&『TOHAKU@TOHAKU』」参照)、ショパン生誕200年を記念してのポーランドと日本の国際共同制作公演として、つい先日ポーランド公演を終えての、所謂「凱旋公演」である。

原作は駐日ポーランド共和国特命全権大使のヤドヴィガ・M・ロドヴィッチ氏、翻訳は日本に於けるポーランド文学研究の第一人者である関口時正氏で、演出は銕仙会の笹井賢一氏、節付は九世観世銕之丞師、作調は今回の舞台の囃子方でもある十一世宗家藤田六郎兵衛(笛)、十六世宗家大倉源次郎(小鼓)、亀井広忠(大鼓)、そして小寺眞佐人(太鼓)の各氏で、国立能楽堂史上初めて、舞台下に持ち込まれたグランドピアノを弾くのは、ショパン・コンクール入賞者の横山幸雄氏と、豪華な顔触れが揃った。

さてこの新作能、「調律師」の内容はと云うと、ショパンの親友であったドラクロアが、ショパンとサンド夫人て過ごし、数々の名曲を産み出したノアン村の別荘を訪れる所から始まる。
其処に前シテの「調律師」が現れ、此の別荘のピアノを調律し弾けば、人を呼び集め、和声と対位法の不思議を知ると云う。そしてその調律師は、自分が「ショパンの霊」だと明かし、夢での再会をドラクロアに約して消える。

中入後、ドラクロアが微睡んでいると、ショパンの子守唄(変ニ長調作品57)と前奏曲24の前奏曲第4番ホ短調作品28)が聴こえて来、後シテのショパンが在りし日の姿で現れる。そしてショパンは、音楽への想いを語り、ノクターン第7番(嬰ハ短調作品27-1)を舞った後、パリで客死した魂を祖国に届けて欲しいと訴え去って行き、最後にノクターン第20番(嬰ハ短調・遺作)が奏でられて、曲は終わる。

其処で、肝心の見終わった感想はと云うと、この「調律師」に限らず「新作能」は、何よりも謡(特に地謡)が難しいと云う事だろう。言葉が中々巧く節に乗らない…そして囃子にも、同様の難しさがある。

またピアノの生演奏も、果たして録音BGMとどれ程の違いが有っただろうか、と云う疑問も有る…それは何故なら、ライヴ演奏で有る以上、舞手を見ての演奏の変化や息合わせを、無理を承知で期待する訳だが、囃子やジャズと違って、当然クラシック・ピアノでは、その辺が希薄に為らざるを得ないからである。

しかし「オッ!」と思う所も確かに有って、それは例えば中入後、ワキのドラクロアが一人佇み、舞台上の全てが静止している所に、子守唄とプレリュードが流れるシーン等は、能とクラシックの最も相性の良いパートでは無いかと感じたし、また「中将」とおぼしき後シテの面と金髪の鬘、19世紀風装束も、思いの外違和感が無く、そして何よりも銕之丞師の舞が素晴らしかった…流石である。

さて、此処で私見を述べさせて貰えば、新作能を成功させるには、例えば「復讐」等の強力なドラマ、つまり修羅物の様な要素が必要なのでは無いかと思う。今回の「調律師」は、ショパンと云う心優しくも繊細な天才がシテであるが、もう少しクセの有るシテ、例えば毒を盛られたモーツアルトが、サリエリの前に現れ恨み辛みを述べ復讐を試みるが、最期は音楽の崇高さと、地謡の強力な「レクイエム」に拠って成仏する、と云ったアイディアも有るかも知れない。

しかしこう云った試みは重要で、新しい芸術の創造はやってみなければ判らない…これからの「能」の在り方を問う舞台で有ったと思う。