アートは『変容』である。

上記タイトルは、記録映画「CHRISTO IN PARIS」の中での、現代美術家クリストの言葉。

ミッドタウンの「21_21 DESIGN SIGHT」で開催中の、「クリストとジャンヌ=クロード展」を観て来た。

クリストの「制作資金源」と成っているドローイング作品は、星の数ほど観ているので、展覧会自体はさしたる感動も無いが、会場で上映されている「ISLANDS」と「CHRISTO IN PARIS」の2本のドキュメンタリーは、本当に素晴らしい。

フィルム中のクリストのアートは、其処に既に存在しているモノが、そのモノに関わる人々、例えば市民・島民、自治体との議論・折衝等を通して「包まれ」、「解かれる」迄一秒足りとも立ち止まる事無く、変容し続ける。この記録映画は、彼のアートは「ラップされるまでの過程」にこそ、その本質が有ると云う事を再認させてくれるからだ。

さて上記の通り、クリストは云うまでも無く「包む」作家なのだが、このアーティストの名を聞く度に、昔顧客から聞いた或る話を思い出す…。

それは未だ80年代の事。そのコレクターは、ニューヨークのオークションで、念願のクリスト作品「ラップされた箱」を落札した。支払いも済み、後は作品が届くのを待つばかり…ところが、彼には出張が入ってしまい、作品が届いた時には生憎別の大陸に居たので、仕方無く彼の妻が作品をシッパーから受け取った。

がしかし、此処から「悲劇」は始まった(笑)。

外国からのパッケージを受け取った妻は、何だろうと開けて見ると、何やら「紙で包まれ、紐で縛られた箱」が出て来た。そして妻は、当然の様にその紐を解き、包みを外したのだった…中身を見る為に。

さて出張から帰って来た夫は、楽しみにしていた「クリスト」の有り様を観て、愕然とする。何と云う事だ…紐とラップが外されているでは無いか!夫は妻を怒鳴り叱責したが「後の祭」、良く考えれば「現代美術素人」の妻に、どう観ても唯の「包まれた箱」にしか見えないモノが、「アート作品」である等と判る訳が無い…。

落胆した夫は気を取り直して、オークション会社を通し、クリストとコンタクトを取った…開梱された作品を、アーティストに今一度「包んで」貰う為である。彼はクリストに、「妻が包みを開けてしまったのは『事故』で、他意は全く無かった。もしもう一度「包んで」頂けるのなら、その料金をお支払いしても良い」と、懸命に訴える手紙を書いたのだ。

そして、その手紙を読んだクリストは、彼の「依頼」を丁重に断ったのだった!

その理由は上に述べた様に、彼のアートの本質は「包む行為とその過程」にこそ、存在するからである。一度包んで開けられたモノは二度と包まない、と云う事なのだ。最初この話を聞いた時は、正直「クリスト、やって上げれば良いのに…ケチだなぁ」 (笑)等と思ったりもしたが、良く良く考えれば、超優秀なアーティストが、自分のアートの「最も重要なコンセプト」を曲げる訳も無い。件の「作品」は、今ではその梱包を解かれたまま、「『元』クリスト作品」として、コレクターの手元に有るそうだ(笑)。

最近クリストは、長年のパートナーで有ったジャンヌ=クロードを、病で喪ったらしい…フィルムの中で、未だ若い彼女が「何故クリストと一緒になったのか」と云うインタビューに、「私は亡命者の男も、金の無い男も全く興味なかったんだけどね…」と、はにかみながら云っていたのが非常に印象的であった。

「亡命者」クリストは、彼女の居ない残りの人生に於いて、どんなアートを我々に見せてくれるのだろうか。

何故なら、パートナーの「喪失」は余りに大きい事件に相違ないが、彼の人生とアートは未だ「過程」に有り、此れからも「変容」せねばならないのだから。