「余白」を持ったギタリスト。

昨日は友人のクラシック・ギタリスト、益田正洋君のリサイタルに行って来た。

場所は代々木公園の「HAKUJU HALL」、サイズも音響も素晴らしい会場である。益田君との出会いは、以前此処で記したので繰り返さないが(拙ダイアリー「テロと『アランフェス協奏曲』」参照)、彼の生演奏を聴くのは本当に久し振りであった。

そのプログラムは、以下の通り。

ソル:ソナタ Op.15-2、ヘンデル:ソナタ Op.1-15、バークレー:ソナチネ Op.51、バッハ:無伴奏ヴァイオリンの為のソナタ 第1番 BWV1001、ブローウェル:ソナタ、ソル:グラン・ソロ Op.14。

ご覧の通り「オール・ソナタ」のプログラムで有るが、これは3月21日発売の益田君の7枚目のアルバム、「SONATA」のプロモーションを兼ねているからだろう。

実はリサイタルを去る事数日前、益田君と「馬焼肉」を食べた時に、或る面白い話題になった。それは「能有る鷹は爪を隠す」と云う話だったのだが、どう云う事かと云うと、「技術」の余りに優れた者は、時折自分の「技術」に酔ってしまい、その事に因ってテンポが早まり「走り過ぎて」しまう事がある…それは聴衆に「ハイハイ、君が上手いのは、良ーく判ったから」と云う「ウンザリ感」を与えてしまう危険性があるのだ。

これを孫一風に云い替えれば、「茶事」に於いて寄付から薄茶席まで、「これでもか」の「名品尽」で客を驚かす亭主の様なもので、「ハイハイ、貴方様がお金持ちなのは、良ーく判りましたから…」と客がウンザリ思うのと同じ事なのである(笑)。

さて、リサイタルが始まった。益田君は少々緊張気味に見えたが、曲を終える毎に落ち着いて来た様子である…。前半戦で筆者が最初に唸ったのは、バークレーの曲。非常に難しい曲であったが、素晴らしく落ち着いた演奏で、聞かせ捲った…流石である!

休憩時間にロビーに出ると、嘗てロックフェラー大学で研究していたニューヨークの友人で、アルツハイマー研究者のH氏に偶然遭遇。近況報告をし合ったのだが、彼は未だ独身らしい…相変わらずであった(笑)。

休憩後の演目中でスゴかったのは、ブローウェルのソナタ。超絶技巧的な現代曲であるが、益田君のテクニックはそれをモノともしない。早弾きのパートでは、少々「走った」感が無くも無かったが、恐らく走り「過ぎない」様に意識していたのでは無いか…拍手は鳴り止まず、本当に素晴らしい演奏で有った!

20代前半から知っている益田君の演奏は、少しずつ「大人」に為って来た様な気がする。何の楽器でも演奏の芸術的膨らみは、「余裕」から生まれる事も有るだろうし、実力者は時には90%位の力で演奏する事に拠って、「余白」の力を示す事も有るだろう。今日の益田君のリサイタルは、彼がその事を知り始めたと云う事を、確実に証明したと思う。

これからの益田君の、「益々」の活躍を、心より期待したい。