N氏のバースデーと、「ダリル・ジョーンズ」との一夜。

今日は朝から、雹や雪混じりの暴風雨。ここ2週間以上休んでおらず、オークションも終わり、また「年休」も溜まりっぱなしなので、もう休んでしまおうかと本当に悩んだのだが、意を決して「遅刻」にした。

「休んじゃおうか」と思ったのには、実はもう一つ理由が有って、昨日の夜が非常に遅かったからだ(笑)。昨晩は友人のジェエリー・デザイナー、N氏のバースデー・ディナーで、参加メンバーはバースデー・ボーイのN氏と筆者夫妻、そしてダリル…場所は偶に行く美味しい日本料理店「M」であった。

N氏は、NYに来てもう40年程経つらしい。ニューヨークの「ティファニー」にデザイナーとして勤めていたが、最近独立し、今は宝飾品のみならず銀製「茶杓」を作ったりして、活躍されている。N氏は還暦を越えているらしいのだが、どう見ても50代半ば位にしか見えない、生まれも育ちも浅草の「元気溌剌・リポビタンD」みたいな人である(笑)。そして彼の音楽やアートの知識、そして交友関係たるや恐るべしで、もう一つ云えば「好きな人となら」誰とでも直ぐに友達になれると云う「特殊技能」が有り、例えば「ユッスー・ンドゥール」等もその1人だろう。

そもそも、そのN氏から紹介されたダリルなので有るが、此処で「ダリル・ジョーンズ」を知らない人の為に、少々彼の事を。

ダリルは、1961年シカゴ生まれのベーシスト。21歳の時に「マイルス・デイヴィス」に出会い、彼のグループに参加…その体験が彼の後の人生を決定付ける。その後「ハービー・ハンコック」や「スティング」等の名盤のレコーディングに参加。ツアー・ベーシストとしても「ブルース・スプリングスティーン」や「マドンナ」と、そして1993年からは、「ローリング・ストーンズ」のサポート・メンバーとしても活躍中の、所謂「必殺仕事人」である。ストーンズのビデオを見て、後方に大きくて眼のギョロっとした、そしてチャーリー・ワッツと目配せしながら弾いている黒人ベーシストがいたら、それがダリルだ。

さて、妻と先に「M」に着いて待っていると、先ずN氏が登場。バースデー・プレゼントとして、花束と「茶の湯コミック『へうげもの』」等を進呈する。そして程無くダリルが登場し、「ビルボード東京」以来の再会を祝う…しかし会う度に、何と無く体が大きくなっている様な気がするのは、単なる気のせいか(笑)。

席に着き、皆でビールで乾杯し食事開始。前にも書いたかも知れないが、実はダリルは「そば」も自分で打つ程の、大の日本贔屓なのである。胡麻豆腐には「オイシイ!」、「『塩昆布』を乗せて食す刺身」には「シンジラレナーイ!」、ウエイトレスには「アリガト!」、そして昨晩「I−PHONE」にメモしてまで覚えたのが、「オサキニ!」…。次回寿司屋で自分が先に帰る時に、カウンターの隣に座った見知らぬ客に対して、云うのだそうだ(笑)。

そして食事中、以前から聞こうと思っていた質問を、幾つかさせて貰った。何故ならこの質問は、前回ダリルと楽屋で会った時の「ビルボード・ライヴ東京」での、ランディ・ブレッカー&ビル・エヴァンス・グループのライヴに同行した、小説家H氏の質問でも有ったからだ。

(孫一:以下M)今まで共演した中で一番影響を受けた、若しくは尊敬できるアーティストは誰?
(ダリル:以下D)勿論、マイルスさ。ボクが彼に会った時、ボクは21歳でマイルスは57歳、親子みたいなもんだった。ボクの実の親父もステージを観て、マイルスの事を「お前の親父みたいだ」って云ってたよ(笑)。
(M)今誰とプレイしてる時が、一番楽しい?
(D)ウーン…マイルスを超えるヤツは中々居ないからなぁ。例えば、キース(・リチャーズ)なんかは、ちょっとロック・ミュージシャンぽく無い所が有って、決まっているフレーズでも、毎回少しでも違う様に弾くんだよ。でもジャズやってるヤツみたいに、こっちの演奏に聞き耳立ててプレイしている訳じゃないし…でもヤツとプレイするのは面白いね。
(M)この間の「ビルボード」の時、ダリルとドラマーのロドニー(・ホームズ)が、ちょっと浮いてる感じがしたけど…。
(D)その通りなんだよ!東京公演終わってから、インドネシア・タイ・フィリピン・韓国をツアーして、大阪に戻って来たんだけど、その頃にはやっと演奏もこなれて来たんだ。例えばローベン(・フォード)なんかと息を合わせるのに、一苦労有ったからな。

食事も進み、そしてビールも「獺祭(だっさい)」へと変わり、会話も盛り上がっていた真最中、N氏がダリルに「君にとって、『アート』とは何だ?」と聞いた。ダリルは一瞬真面目な顔になり、我々も聞き耳を立てる。そして、ダリルはこう答えたのだった。

「マドンナとツアーしてる時、腹が減って『トルティーヤ』の屋台に行ったんだけど、その『トルティーヤ』屋の動作が、異常に鋭くキビキビしていて、その手際の良さに感動して見惚れちゃったんだよね。その時こりゃ『アート』だ、と思ったんだ。そういう意味では何でもアートに為り得ると思う。」

これは非常に良く判る話で、その後N氏が筆者に同じ質問をした時に、「何でも『クオリティ』の有るモノは、『アート』に為り得ると思う。」と、ダリルの答えに付け加えたのだった。

ダリルと妻との3人で「ハッピー・バースデー」を合唱し、デザートにサプライズの「キャンドル付バースデー・アイス」を食した後も話は尽きず、「もう一軒」と云う事になり、ミッドタウンに在るジャズ・バー「T」へ。其処でも、ダリルの将来の夢やハービー・ハンコックの「仏教憑き」の話、「マイルスの物真似」を交えた想い出話、80年代のN氏との出会いの話等で盛り上がった。

最後にもう一点だけ印象に残った話を挙げれば、マイルスの話になった時に、ダリルが「マイルスは『ボクサー』みたいだった」と云った事だろう。これはどう云う意味かと云うと、即興プレイ中にマイルスのトランペットが発する「プッ、パッ」と云った鋭い音が、マイルス自身の「体の動き」と相俟って、恰も「ボクサーが『ジャブ』を打っている」様に感じるのだそうだ。そして、そのジャブが自分に向けられた時には、それと同レヴェルの「ジャブ」を返す事ができなければ、「クビ」になってしまうのではと、本気で恐ろしかったそうである。

そしてこの経験が、彼が昨晩最後まで云い続けていた、「これが『最初で最後のプレイ』なのだと、常時思って全力で演奏する」と云う、ある種「一大事と申すは、今日只今の心也」と云った「禅」的な姿勢を、ダリル・ジョーンズと云う「仕事人」に植え付けたらしい…スゴイ世界、スゴイ男達である。

世界のトップ・ミュージシャンとして活躍していると云う、「本当の自信」に満ち溢れているからこそ、全く気取らず、インテリで、そして人を決して色眼鏡で見ない「友達想い」のダリルとN氏との一夜は、夜中の2時を過ぎても終わる事は無かった…。
今日眠いのは、必然で有る。