「ゴッドファーザー・オブ・ブラック・ミュージック」から学んだ事。

若松孝二監督が亡くなった…最近交通事故に会い、入院して居たらしいが、容体が急変し其の侭帰らぬ人に為ってしまった。

若松監督は日活ロマンポルノ出身で、大島渚の「愛のコリーダ」のプロデューサーとしても知られて居るが、筆者が最も最近観た作品は「実録・連合赤軍 浅間山荘への道程」で、執拗なリンチ・シーンとリアリズム描写が、今でも頭に残っている…骨太監督のご冥福をお祈りしたい。

話は変わり、一昨日から西海岸に仕事で来ている…此方の気候はニューヨークとは違って、未だかなり暖かく、室内で上着を着て仕事をしていると汗ばむ程で、昨日の日中は街中でも略華氏100度…インディアン・サマーと呼ぶには暑すぎるが。

さて今回の西海岸出張、何時もは出張ギライの筆者だが、実は今回だけは心待ちにして居た。当然それには理由が有って、今回の出張は仕事の重要性も然る事ながら、実は筆者に取っては仕事以外の「個人的趣味の範疇」に入る、誠に重要な或る人物と会う事に為って居たからだ。

その人物とは、C。

このイニシャル、いや、実際の名前を聞いても、ピンと来ない人が多いだろう…が、彼が某ソウル・R&B系の超有名レコード会社「M」の元会長で、ファンキー・レーヴェルの「T」を立ち上げ、且つクインシー・ジョーンズのビジネス・パートナー、80歳の誕生日にはアップに為った彼の顔と、「Happy Birthday, C !」と云うキャッチ・コピーが「ビルボード」誌の表紙を飾り、彼の業界での異名が「ゴッド・ファーザー・オブ・ブラック・ミュージック」と聞けば、その人物像も何と無く想像が付くのではないかと思う。

先ずは、今年81歳に為った、小柄だが眼光鋭いCのビヴァリー・ヒルズの邸宅を訪ねる。

居間に置かれたピアノの譜面台にはクインシーの楽譜が、そして壁にはバハマ大使を務めたと云う娘さん等の家族や、マイルス・デイヴィスを始めジェームズ・ブラウン等のミュージシャン、クリントンオバマ大統領との写真や、数々のゴールド・ディスクが飾られ、Cの辿って来た華やかな人生が垣間見える。

が、ビヴァリー・ヒルズの素晴らしいロケーションにこの家が有ると云っても、思いの外質素な感じがするのは、彼が10代の頃にノース・キャロライナからニューヨークに出て来たアフリカン・アメリカンとして、ニューヨークやロスで恐らくは口では言えない苦労をして来たからではないだろうか。

そして筆者は、仕事柄有名人に会っても殆どこう云う事は云わないのだが、感激の余り、彼が世に送り出した音楽をどれ程自分が愛して居るか、また学生時代にDJをしていた時、自分が何百回スティービー・ワンダーやコモドアーズ、リック・ジェイムズ達の音楽を掛けたか、終いには「SOSバンドや、アレキサンダー・オニールの歌だって、今でも『空で』歌えます!」(笑)等と熱く語ってしまい、今となって何とも恥ずかしい(汗)。

しかしそんな時でも苦労人のCは流石に優しく、大渋滞していた車の運転中でも、自分が青年の頃、如何にデューク・エリントンの音楽を愛していたかと云った話や、親友だったマーヴィン・ゲイ(マーヴィンが「親友」ですよ、「親友」!)の事等を、メルセデスの助手席に座った筆者に、ノンビリとした調子で聞かせてくれた。泣く子も黙る、あの「M」の会長が、で有る…この僥倖に感謝しながら、何度自分の頬を抓ろうと思った事か(笑)!

さて、その晩食事をしたのは、イーグルスの名盤「ホテル・カリフォルニア」(拙ダイアリー:「ホテル・カリフォルニア」参照)のアルバム・ジャケットに為った、「ビヴァリー・ヒルズ・ホテル」のダイニング、「ポロ・ラウンジ」。

ディナーの出席者は全部で8人だったが、Cは筆者に手招きし、何と隣の席に座らせてくれた。あぁ、何と云う幸せ…こんな機会は、人生でもう二度と無いだろう!

そしてディナーの間、我々はブラック・ミュージックを含めた凡ゆる音楽の話をし、C氏が尊敬するピアニストがオスカー・ピーターソンで有る事、ストーンズビートルズも好きな事(友人のダリル・ジョーンズの事は知らなかったが、ダリルがマイルス・バンドでデビューして、ストーンズのツアー・ベーシストをしていると云ったら、「ホォ! 」と云っていた)等をCの口から聞き出した。

また彼からも、「日本人はラップ・ミュージックが好きなのか?」「JBのライヴを見た事が有るか?」「ディスコのDJが、何故今日本美術の仕事をしているのか?」「今迄マゴが観た中で、誰のライヴが最も印象に残っている?」等の質問をされたりもしたが、デザートの「チョコレート・スフレ」を食べる頃、究極の質問をCにしてみた。

「C、貴方が今迄出逢ったアーティストの中で、最も『此奴はスゴイ!』と感じたのは、誰ですか?」

するとCは即座に、

「それは疑い無く、スティーヴィーだな…君も知っての通り、スティーヴィーは全盲だけど、最初に彼に会って歌を聞いた時、彼の曲、声、全てが僕に取っては『奇跡』だった!」

と応えた。

マイケル・ジャクソンでも、マーヴィン・ゲイでもダイアナ・ロスでも無く、スティーヴィー・ワンダー…何と無く、Cの音楽に対する考え方が判った様な気がした。

そうしてディナーが終わり、筆者が泊まっていたホテルに送ってくれる迄、この日1日Cと本当に色々な事を話したが、最も印象深かった事の1つは、Cが「私は子供時代から、楽器が全然出来なかったんだ。でも、音楽は何時も大好きだった。」と云った事だろう。

勿論その理由には、経済的状況等も有ったのかも知れない…が、10代でニューヨークの有名クラブのクラークとして音楽業界に入ったCが、「楽器が出来なくても、世界中の人が愛するヒット曲のプロデュースは出来る」事を知った訳だから、此れは心強い。

何故なら、筆者も美術品を創作したりは出来ないが、人々にその美しさを伝える事は多分出来るし、感動を与える事も恐らく可能だ。しかしそれを可能にするには、唯1つの事だけが必要で、しかも非常に強い「それ」が必要なのだが、「それ」とは食事の途中でいみじくもCが筆者に云った様に、「その事が『無性に好き』だ」と云う事だけなのだ。

そしてもう1つ、Cから貰った物…それは、Rodriguezと云うシンガー・ソングライターの「Searcing for Sugar Man」と云うCDアルバムだ。このアルバムは、Cが1970年にプロデュースして発売されたが、当時は殆ど売れなかったらしい。

だが最近南アフリカで、この曲がラジオで大ヒットした為再発売され、Cはその事を伝える為にロドリゲスを捜したが、あれから42年もの歳月が流れていた為、ロドリゲスも行方不明…だが、アーティストを辞め「ハンディ・マン」(修理工)をして生活をしていた70歳を超えたロドリゲスは、滔々デトロイト見つかった。

そしてCがロドリゲスに、大ヒットし結構な額と為った著作権料を払おうとしたら、決して裕福とは云えないロドリゲスは、その金を慈善団体に全額即座に寄付してしまったそうだ。

青春時代の思い出と共に、「Godfather of black music」との邂逅から得た教訓は、「好きこそ物の上手なれ」と「夢は金では買えない」と云う事だった。

「好きだ」と云う強い気持ちこそが、「夢」を実現させる為の唯一無二の秘術…そしてそれは、如何なる場合でも「プライスレス」なので有る。