「こいつァ春から、縁起がいいわえ」、或いは「ディスコ・フィーバー」。

気温の上下が余りに激しく、その為土曜から体調を崩していたのだが、今朝「今年最重要」ニュースが入ってきて、かなり元気になった。

実はこの知らせを今朝一番にくれたのは、「反会長」で有る妻であった。WEBを観ていた妻が、いきなり「ゲッ!」と云う声を挙げ、「破局だってさ!」と呟いたのだが、一体何の事だ?…もう皆さんご存知だと思うが、それは「蒼井優、V6岡田と破局!」のニュースであった。「人の不幸は蜜の味」と云うが、これはそう云った「レベル」の話では無い。その瞬間から、筆者の顔からは微笑が消えないのは、云うまでも無かろう(笑)。

そして今朝、世界各地至る所から「おめでとう!」「良かったな!」「ガンバレ!」(何を?)等のメールを多数頂き、がしかし「で、どうすれば良いの?」と云う事ではあるが、ダッシュ・メールを頂いた「会長」からの情報によると、最近優ちゃんが一番欲しいモノは何と「ルーシー・リー」の陶器だそうで(MC交易さんも、嬉しいに違いない…)、これは「『リー』茶事」を催して彼女を招待するしか無いのではないか…筆者所蔵のルーシー・リー作「茶入」も何時でも提供します。ウーム、面白くなってきた。

それに加え、先日友人A氏が仕事で優ちゃん本人に会い、「NY優ちゃん会」の事、孫一の存在を彼女に伝えてくれた事を知っている妻には、「これ以上無い位」嫌味タップリに「へー良かったねー、『NYの孫一さん』の事を思って、別れたのかもねー」等と「憎たらしく」冷笑されているが、今に見て居れ、必ず会って見せようぞ…「棹の雫か濡れ手で粟、思いがけなく手に入る『優ちゃん』、こいつァ春から、縁起がいいわえ!」(「三人吉三廓初買」より:菊五郎調で)。

さて、この辺でいい加減この話題は止めないと…後が「マジに」恐ろしいので、そろそろ本題に移る。

話は、先週の或る朝の事。歩いてオフィスに来る途中、ブロードウェイ近辺の街角で、怖ろしく懐かしい曲が耳に入ってきた…それは、1981年のクインシー・ジョーンズ・プロデュース、パティ・オースティンの「Do you love me ?」と云う曲で有った。そして余りにお恥ずかしい話だが、思わず顎を上下させてノッてしまったのだった…朝だと云うのに(笑)。

では此処で、何故筆者がこの頃のブラック・ミュージックに詳しいかを、一寸長くなるが説明しておく。

筆者が小中学生時代、毎日下校すると欠かさず観ていた「銀座NOW」と云う生放送番組が有って、この伝説的番組は「せんだみつお」が司会で、日替わりのレギュラー・コーナーが有った。

「素人コメディアン道場」には、当時未だ学生だった小堺一機ラビット関根(勤)、竹中直人、シンチャン(柳沢慎悟)・テッチャン、とんねるず等が出ていたし、歌のコーナーにはCHARや清水健太郎(筆者は当時、人相の悪い所が良く似ていると云われていた…笑)、後に一部が「ラウドネス」と為ったバンド「LAZY」等も出演しており、その他にもコーナーは色々有ったのだが、筆者に一番影響を与えたのは他でも無い、確か木曜日にやっていた「ポップティーン・ポップス」と云う、当時からするとメチャ早い「PVカウントダウン番組」で有った。

そして、この1位を発表する時の「何と何と、なな何と」と云う決め台詞が名物であったコーナーで、フィフス・ディメンションマーヴィン・ゲイスティーヴィー・ワンダーアース・ウインド&ファイアー(E.W.&F.)等を初めて知ってから、ソウルやファンクと呼ばれる、所謂ブラック・ミュージックに目覚めてしまったのだ。その「目覚め」を駄目押ししたのが、確か中3の時に来日し武道館でコンサートをした「E.W.&F.」で、その後は当然の如くディスコに行ったり、偶に「お皿」を廻したりの青春時代を送らせて頂いた(今でも幾つかのステップは踊れます)。

果たして、その朝聞いた1981年制作のパティ・オースティン「Do you love me ?」等は、「ディスコ」全盛当時の名曲で、「一耳」聴いたら直ぐにこの曲だと判る程である。因みに何の得にも為らないが、筆者はこの頃の所謂「ダンス・クラシック」の「超ウルトラ・イントロクイズ」大会に出場したとしても、優勝できる自信が有る程に聞き込んでいるし、レコードも所持している…そんな大会があれば、是非出場してみたい…もし、有ればだが(笑)。

この頃ディスコで流行っていた曲を挙げてみると、QUINCY JONESの「Ai no Corrida」(大島渚の映画「愛のコリーダ」から着想を得ている)、LAKESIDE「Fantastic Voyage」、KOOL & THE GANG「Celebration」、Rick James「Give It to Me Baby」、BB&Q BANDの「On the Beat」等々数え上げれば限が無いのだが、しかし名曲揃いであった…恐らく1979−82の期間は、ディスコ&ダンスのカテゴリーに於ける、史上最強の「名曲の宝庫」の時代と云えると思う。

因みに筆者が大好きだった曲で「渋い所」を挙げれば、KLIQUEの「Love's Dance」、REDDINGS(オーティス・レディングの息子達)の「Remote Control」、BRICKの「Sweat」、SHALAMER(Jody Watleyが在籍していた)の「Make That Move」、SUGARHILL GANGの「Eighth Wonder」やCHERYL LYNNの「Shake It Up Tonight」等、これも数え上げれば限が無い。

また、その頃のディスコでは「繋ぎ」にもルールが有って、DJは勿論BPMBeat Per Minute)が近い曲同士を「VESTAのクロス・フェーダー」(懐かしい!)で繋いで行くのだが、唯単にBPMが近ければ良いと云う訳でも無く、それは例えば「レーベル」で繋ぐとか(「Atlantic」同士、「SOLAR」同士とか)、客が「踊る」事を念頭に置いて、踊り易くそしてノリ易く「繋ぐ」のである。

例えば、大ヒットしたCHANGEの「Paradise」と云う曲がある。これは「皆、同じステップで踊る」曲の代表選手の様な曲で有るが、この曲を掛ける為には、KLEEERと云うバンドの「De Kleeer Ting」と云う曲を「先ず」掛けねばならない。「Welcome to Kleeer...」と云う「ラップ」と云うか「台詞」から始まって、「ten, nine, eight... one, zero!」とカウント・ダウン終了後に、「Paradise」のベースによる強烈なイントロを繋ぐ。

そして「Paradise」を程良く流した後、再び「De Kleeer Ting」に戻すのだ(と云っても、「玄人」にしか判らないと思うので、興味の有る人は是非聞いてみて下さい。「Atlantic Label」の2大巨頭バンドです)!!

ここ迄でも、素人の方には「何のこっちゃ」だと思うが、それ程この頃の「ブラック・ミュージック」を愛しているのである…。

今日はちょっと「フィーバー」し過ぎました(反省)…でも顔は綻んだ侭である(微笑)。