「カーネギー」で零れた涙:MAURIZIO POLLINI@Carnegie Hall。

この間の日曜日は、先ず友人のC&Rカップルとフォー・シーズンズの「The Garden」でブランチ。

旦那さんのRがエクゼクティヴ・プロデューサーを努める大人気長寿番組「Law & Order」で、彼が先週「初監督」をした話で盛り上がる。彼は長年「脚本家」であったので、今回が「初ディレクション」だったらしいのだが、やはり脚本・プロデュースと監督はかなり勝手が違うらしく、相当大変だった様だ。それでも「S.A.T.C.」にも出ているイケメン俳優、クリス・ノースが如何に「意地悪でダメな奴か」等など、面白い話満載であった。

ブランチ後はこの日のメイン・イヴェント、カーネギー・ホールでのポリー二の「オール・ショパン・リサイタル」へ。

行って見ると、もうカーネギーは超満員。席は前から8列目の左よりで、また演奏者の運指が見える位置(これで80ドルは安い…これだからNYのクラシック・コンサートは素晴らしい!)…が、1つ気になる事も。それは、先日友人のクラシック・ギタリストのS君に会った時に、彼から「孫一さん、ポリーニ、去年の日本公演で演奏中に突然止まっちゃって、皆『ポリーニが壊れた』って大騒ぎだったんですよ。」と聞かされており、これが本当なのか確かめる術も無く、リサイタル当日を迎えたからであった。

しかしリサイタルが始まると、そんな心配は吹っ飛んだ所か、恐らく筆者の人生最高の音楽会の1つだったと云える程の、素晴しさだったのである!!

まず一曲目は「2つの夜想曲 作品27」。大好きな2曲目の「変二長調(第8番)」では、そのたった2日前に、平野啓一郎氏のショパンを描いた長編小説「葬送」を読了したばかりだった事も有り、目を閉じると直ぐに、小説中のショパンの演奏会シーンが脳裏に蘇る…これこそ「音楽文学」効果では無いか(拙ダイアリー:「文学音楽のすゝめ」参照)!そしてそのシーンと共に何故か、伝長谷川等伯(長谷川派)の「月夜松林図」も頭に浮かぶ…音楽の持つ映像喚起力とは、何と凄いモノなのだろう。

素晴らしい出来のノクターンの後は、「24の前奏曲 作品28」。ポリーニの、余りにも優しく切ない「第4番 ラルゴ」は、思わず筆者の眼から「涙」を零れ落ちさせた…こんな事は稀だと思っていたのだが、2日前に列車の中で起きた事が、何と再び起こってしまったのだ。

この曲は、ショパンの葬儀の際にも演奏されたと云われている曲なのだが、その悲しく寂しい旋律は、再び「葬送」中のショパン臨終のシーンを思い出させ、尚且つこの日は、生前大変お世話になった裏千家NYの山田先生の一周忌当日で有った事も有り、一気に感情が高まってしまったのだろう…年を取ると、人間涙脆くなる(苦笑)。

ポリーニが24曲全てを弾き終わると、観客総立ちのオベイションで前半終了。右隣のスラブ系美人学生ピアニスト、左隣のイタリア系主婦共々と、興奮しながら会話を交わした程、この日の前半のポリー二は素晴らしかったのだが、実はこのインターミッションの時点ですらも、我々は未だ「We ain't heard nothing yet」の状態で有ったのだ!

後半のスタートは、「バラード第1番 ト短調作品23」。非常に有名且つ聴き応えが有り、ピアニストに取っては弾き応えの有る作品だが、ポリーニはこの曲を叙情タップリに演奏し、そして次の「スケルッツォ第1番 ロ短調作品20」も完璧に仕上げた。ハッキリ云ってこの2曲は恐るべき演奏でもう溜息しか出ず、暑い筈も無い会場なのに、もう全身汗ばむ程興奮してしまった。

しかし何とも驚いたのは、ポリーニの弾き始めが「異常に」早い事である。どういう意味かと云うと、万雷の拍手の中ドアから歩いて来て、ペコッとお辞儀をして座った途端、一呼吸も置かずに弾き出すのである。特にこのバラードとスケルッツォの間では、ポリーニは引っ込まずにステージに残ったのだが、バラード終了後、張り裂けんばかりの拍手喝采を浴びてお辞儀を繰り返した末、ちょっこり椅子に座ると、何と拍手が鳴り止んでいないのに弾き始めた程である!

そしてこの日のプログラムの最後は、「12の練習曲 作品25」からの抜粋8曲。この時には、実は「観客側の」ハプニングがあった。ポリーニエチュード全12曲の内の、第1-4、7、10-12番を演奏したのだが、5曲目の第7番が終わった瞬間、それ迄の演奏が余りに素晴らしかったので、ついつい会場から拍手が起こってしまった…褒められた事では無いが、しかしそれ程に素晴らしい演奏だったとも云えるのでは無いか。

ポリーニが最後の「第12番」を弾き終わったその瞬間、満員のカーネギーの観客は一斉に立ち上がっての「スタンディング・オベイション」、恐らく筆者が今迄聞いた中で、最も数が多く且つ怒声に近い大きさの「ブラヴォー」の声が、会場の至る所から、際限無く飛び交っていた。クラシック音楽の会場が、これ程までに興奮の坩堝と化した事は、少なくとも筆者の経験には無い。

終わり無き喝采の中で、アンコールは3曲(「練習曲 ハ短調 作品10-12『革命』」「マズルカ ハ長調 作品33-3」「スケルツォ第3番 嬰ハ短調」)、ポリーニショパンを独占した2時間半は、アッと云う間に過ぎ去った。

カーネギーのステージでショパンを弾くポリーニは、まるで公爵夫人の邸宅の、宮殿の様な居間で弾いている様に見え(音響もそうだが、此処がカーネギーでのクラシック・コンサートの良い所である)、この余りにも「ヨーロッパな」彼の演奏スタイルと雰囲気は、最近観たもう1人のショパン・コンクール・ウイナー、アメリカ人のガリック・オールソンとは決定的に違っていた。

特に柔らかでしなやかな、そしてベーコンの絵画を見る様に、速さの余りにぶれて見える運指…オールソンには悪いが、技術面でも、曲の解釈や風格を取ってみても、「マエストロ」マウリツィオ・ポリーニは、少なくとも「ショパン奏者」として世界最高峰だと思う。そしてこの日の演奏会は、筆者に取って今まで観たクラシックのコンサート全ての中でも、恐らくベスト3に入る、ファンタスティックな音楽会で有ったと此処で断言しよう。

この「小さな巨人」に最大級の喝采を送って、夜は「KAJITSU」でディナー。

あぁ…何と幸せな休日だったのだろう‼︎