マエストロの、絶え間無く揺れ動く、右手の指@カーネギー・ホール。

先ずは告知から。

来る11月9日朝9時半より、クリスティ−ズに於いて現代美術家村上隆カイカイキキ)とガゴシアン・ギャラリー、そしてクリスティーズ共催の、東日本大震災救援チャリティー・オークション「New Day」が開催される。

この企画は村上氏が中心と為り、当社オーナーのフランソワ・ピノーとラリー・ガゴシアンが協力して開催する物で、出品アーティストは村上、奈良美智タカノ綾、Mr.らの日本人アーティストを始め、デミアン・ハースト、ガブリエル・オロスコ、ジェフ・クーンズやシンディ・シャーマン、出品数は21点に上る。

また、このオークションには「特別ゲスト」として俳優渡辺謙氏が登場し、オークション前に「詩」を朗読するとの事…これも楽しみの1つだが、因みに謙さんの都合が万が一悪くなった場合には、ワタクシが「影武者」としてその大役を果たさせて頂きますので、悪しからず(勿論冗談ですが、念の為、拙ダイアリー:「似て非なる者」参照:笑)。

このセールの下見会は、アッパー・イースト・サイドのガゴシアンで今月26日から28日(10:00AM-6:00PM)、クリスティーズでは11月4日から8日迄開催予定(4、5、7日は10:00AM-5:00PM、6日は1:00-5:00PM、8日は10:00AM-12:00PM)。お時間が有れば、是非。

さて月曜の夜は、「ゲル妻」の名の由来と為ったセクシー・マエストロ、ヴァレリーゲルギエフ率いるマリインスキー交響楽団のコンサートを聴きに、カーネギー・ホールへ。

この日の演目は、チャイコフスキー交響曲第3番と4番…ゲルギエフは、今回のニューヨーク公演では、日に拠って交響曲を組み合わせたりして、略「オール・チャイコフスキー・プログラム」と云って良い程にチャイコをフィーチャーしているのだが、今回我々は「悲愴」や「第5番」では無く、敢えて筆者に今迄余り馴染みの無かった「第3番:ポーランド」と「第4番」の日を選んでみたのだ。

カーネギーに向かう途中から、ゲル妻の眼は爛々と輝き始め、ゲル様に会える悦びで満ち満ちていたのは云う迄も無いだろうが(笑)、席に着き、10分遅れでオーケストラが入場しマエストロが登場した時、筆者は正直驚きを隠せなかった。

それは、昨年彼の演奏を聴いた時(拙ダイアリー:「ゲルギエフ指揮:マーラー交響曲第五番』@カーネギー・ホール」参照)よりも、ゲルギエフの「腹」が遥かに出ており、頭頂もより薄くなっていたからで有る…そしてその事をゲル妻に伝えたのだが、「良いの!精力絶倫の証なんだから!」との返事…流石ゲル妻の名に相応しい答えである(笑)。

そうこうしている内に、「交響曲第3番:『ポーランドニ短調作品29」の演奏が始まった。

この「ポーランド」(英語では「Polish」と為っているので、「ポーランド『人』、或いはポーランド『風』」だろうか?)は、チャイコ独特の「心理ドラマ」が排除されており、非常にバレエ的な音楽である。明るい曲調が続き、特に第2楽章の美しさには心を奪われた。

そして最後の第4楽章(第5楽章とする説も有る)は、この交響曲の「愛称」の由来で有る「ポロネーズ」や「スケルッツォ」風の曲調で華々しく終わるのだが、その余りに完璧に纏められたマリインスキーの弦と管は本当に素晴らしく、第1楽章の終わりで思わず客席から拍手が出てしまった程で有る。当にロシア風と呼ぶべき、非常に抽象化された楽曲であった。

そしてインターミッションの後は、「交響曲第4番ヘ短調作品36」。

この曲は1877年、チャイコがヴェニスにて書き上げた作品だが、この作品に纏わる逸話は多い。例えば、この作品がその頃から彼の重要なパトロンと為ったメック婦人に捧げられた楽曲である事。またこの年、チャイコは自分がゲイで有る事を隠す為に、自分のファンで有った女性と結婚したが、たった2週間でその結婚は破綻し、モスクワ川に飛び込んで自殺を図る程精神的に追い詰められた事件も起こった。これらの事を鑑みても、この曲の完成時期に作曲家の身に起きた「事件」が、本作品に色濃く反映しているのは間違いの無い所だろう。

実際この第4番を聴いてみると、至る所で「精神不安定」的な箇所に出くわす…曲調がさっき迄明るかったと思えば急に暗転したり、過剰な程の部分が有ったりするのだが、こちらも第2楽章の特にオーボエが美しくて、後で聞くとこのパートはオーボエ奏者のオーケストラ入団試験に良く使われる、息継ぎの非常に難しいパートだとの事…聴く者に取っては、「演奏者泣かせ」の美しいパートなのだった。

また、チャイコ本人がメック婦人に宛てた手紙の中で、この曲の第4楽章に就いて「この楽章で示されている様に、この世には暗黒だけでは無く、素朴な人間の喜びが沢山存在しています。我々が喩えそれに馴染め無くとも、その喜びの存在を認める事で悲しみを克服し、生き続ける事が可能になるのです」と書いている事からも判る様に、この「交響曲第4番」とは、上記の様な事件を経験した作曲家本人が絶望の淵から再起すると云う、「決意」に満ちた作品なのである。

そしてゲルギエフとマリインスキーは、その「決意」を見事に実証し、この豪快且つ絶望の克服の喜びに溢れる曲を完璧に仕上げた!この演奏を聴くと、ゲルギエフとマリインスキー交響楽団の実力は、恐らく今世界でも最高では無いかと思うのだが、如何だろうか?

観客総立ちのスタンディング・オヴェイションの嵐の中、4回程のカーテン・コールを繰り返した後、ゲルギエフはオーケストラを座らせ、何とアンコールを演奏…そしてそれは、何とも愛くるしい演奏の「くるみ割り人形」のダイジェスト版で有った!

指揮棒を持たないセクシー・マエストロ、ゲルギエフの右手は、この晩最初から最後迄ヒラヒラと揺れ動き、その感情をオーケストラに伝えていた。そして彼の右手の指は常に細かく振動し、時には恐れに戦慄き震える様に、時には甘くエロティックに動き続け、ゲル妻の眼をハートにさせ続けた…それはゲル妻が「この晩を境に、私は『ゲルゲル妻』に進化した」と宣言した事からも、容易に納得出来るだろう(笑)。

本日は、「ゲルゲル進化論」をお届けしました(笑)。