「名」は人を表すか?

先週末は、大人しい週末であった。

土曜日は、久々にチェルシーを散策。その中でも、PACE GALLERYでのシャピロは中々良かった…色取り取りの木板を何とも云えぬ空間感覚で、宙に浮かせるインスタレーション。あれは出来そうで出来ない…流石である。それとJAMES COHAN GALLERYで観た、エリック・スウェンソンの作品が素晴しい。「鹿」が主役のこのアートは、一見の価値が有る。

また岡村桂三郎等、(少なくとも)3人の日本人作家のソロ・ショウが開催されていた。チェルシーで日本人アーティストのソロ・ショウが複数同時に行われるとは、時代も変わって来ている…ギャラリー散策後は、去年購入して其の侭にしていた、ジョセフ・コスースの版画「ジークムント・フロイト」のフレーミングが出来たのでそれを取りに行き、その後美味しいピザ屋「C」で、早い夕食。

昨日の日曜は、一日中雨模様で外に出る気がせず、家で「文学音楽」三昧。同級生であるN響チェリスト、藤村俊介君のチェロ・ソロを聴きながら、志村ふくみ著「白夜に紡ぐ」と内田樹著「日本辺境論」を読了…福田和也著「アイポッドの後で、叙情詩を作る事は野蛮である」と、谷川健一著「古代学への招待」を読み始めた。

さて、今日の本題に入ろう。

「久方の月の桂を折るばかり 家の風をも吹かせてしかな」

この歌は、拾遺和歌集に「菅原の大臣かうぶりし侍りける夜、母の詠みはべりける」と有るので、菅原道真の母が道真「元服」の日に詠んだ歌だと判る。

「桂を折る」とは、「折桂」と云う漢語が基であるが、その意味は「科挙の制」(中国隋時代に始まる、非常に難しい官吏登用試験)に合格する事、「家の風…」とは立派に成長し勉強して、家名を上げる」と云った意味であろう。また「桂」は、そもそも「月の都に在る、非常に背の高くなる想像上の霊木」で、其の月の都に在る「月宮殿」と云う大宮殿には、「桂男(かつらを)」と云う「背の高い絶世の美男子」が居て、その桂の木を刈るのを生業としていると云う。

以上は、筆者の本名である「桂」の由来であるが、当に今日のダイアリーのタイトル「『名』は人を表し」ている…異論噴出とは思うが(笑)。序でに、この名を付けてくれた「ゴッド・マザー」は、京都の人であった(やっぱり)。

さて世の中、「変わった名前」を付けられて、困った思いをした(している)人も多いのでは無いだろうか。

筆者も、この「カツラ」と云う名が付いてたお蔭で、子供時代相当バカにされた過去が在る。それは、1つには父親が若い時から御髪(おぐし)が「薄く」、父兄参観日には「絶対に来ないで!」とお願いしても、そこは伊達に教職に就いて居ない父親が必ずやって来ては、その頭を見た友達に「ヤッパリ!お前の親父は、自分がハゲだから息子に『カツラ』って名前を付けたんだろう!」と笑われていた…子供は残酷である(涙)。

一時期「アデランス」等と渾名も付けられ、悔しいやら情けないやらで、父兄参観日の夜は何時も両親に「何でこんな名前を付けたんだよ!」と抗議し、一時は本気で改名まで考えた程だったが、その度に「菅原道真の母」の「歌」を聞かされ、宥められていたのである。

が、思春期になると、元々「額」は広かったのだが(これも父親譲り)、段々と自分の「生え際」が心配になって来て、この侭で行くと「シャレ」にならないと思い始めた。またその頃から街角で、例えば「小料理 桂」、「旅荘 桂」(「連れ込みホテル」って古いね:笑)、「ステーキ 桂」等の様に、それは当然「和風」で、しかも何処と無く「大人な場所」に自分の名前を見つけ、再び自分の名前を憎み始めた。

それは、子供の頃から両親が筆者に施した「日本和風文化教育」のせいで(拙ダイアリー:「『美術史家養成』ギブスの、その後」参照)、この頃既に「和風な事全て」をかなり憎んでいた事と、また当時「ポパイ」と云う雑誌のモデルをしていた、「ケン」と云う名のハンサムなクオーターの同級生が居たりもして、実際「ケン」とか「ジュン」の様な「洋風」な名前に憧れていたのである。片やハンサムなクオーターで「ケン」、片や、将来その名前のついた「モノ」を装着しなければならなくなるかも知れない「カツラ」…人生は不公平だ。

そんなこんなで大人になった筆者は、或る日仲の良い骨董屋さん、MR堂のKに「俺の結婚披露宴には、着物で出てくれ」と頼まれ、その通り「羽織袴」で出席した。さて宴も酣の頃、新郎Kが笑いを噛み殺した顔で近付いて来て云うには、「お前、新婦側友人席で『落語家』って事になってるぞ…グッフッフッ」。出席した仲の良い古美術関係者が、皆「カツラ、カツラ」と呼ぶのと、羽織袴の出で立ちも有って、「歌丸」とか「ざこば」の一派と思われていたらしい。

サービス精神旺盛な筆者は、仕方無く懐から扇子を取り出すと、それを「箸」に見立てて「蕎麦」を啜って見せた。すると、それを見た新婦友人席から盛大な拍手が起こってしまったので、仕方ない、もう一丁と、扇子を三分の一程開き、今度は「盃」に見立ててクイックイッと、「酒」を呑んで見せたりした。それ以来仕事柄も有り、「桂歌麿」と呼ばれる時も有る(笑)。

そしてその何年も後の事、妻に出会い結婚した後の大阪出張の際、泊ったホテルのエレベーターの中で「或る物」を発見し、愕然としたのだった。それは、乗ったエレベーターの階数ボタンの所に、各階に在る施設・レストランの名前が記されていたのだが、それを見ると、このホテルの「3階」は「宴会場フロア」らしく、其処には「万葉の間」と有り、そしてその下に「桂の間」が。「万葉の間」の方が大きい会場らしく、当然文字もガッチリと大きく、それに引換え「桂の間」は、その下に控え目に、従う様に記されていたのであった…。

そう、何を隠そう、ウチの妻の名は「万葉」(「まよ」と読む)…そして実際我々夫婦は、性格も「宴会系」(意味が判らんが:笑)、力関係も「文字の大きさ」と「文字位置」通りなのであった。

答えはイエス、「名」は人を表します。

お後が宜しい様で…(桂文治調で)。