苔のむすまで。

一昨日は香港に居たのに、昨日は1日滋賀と京都。地球が狭くなるに連れ、身体の消耗が激しくなるのは、何故だろうか。

が、ニューヨークから来ている身としては、朝5時半発の超ハード・スケジュールだったとは云え、異なる文化と時間、国と街を往き来する最近の中では、最もホッとする1日と為った。
電車を乗り継いで先ず向かったのは、信楽MIHO MUSEUM…今週末で終わってしまう「長沢芦雪 奇は新なり」展を観る為である。
神慈秀明会が選んだこの土地は、何度来ても心身がスッキリと洗われ、行きすがら、特に前日雨に打たれたと云う噎せる様な新緑や、迸る川や滝の水、鳥の囀りや体の全細胞に染み入る澄んだ空気は、「生」有る物全てを祝福するかの様で有った。

筆者は新興宗教に詳しくも無いのだが、大本教の在る亀岡を訪ねた時もこの様に感じたので、如何に宗教家が「場所」を大事に考えているか、逆に云えば如何に「その地」に導かれるか、と云う事なのだろう。

館に着き、旧知の学芸員O氏の案内で、開館から大勢の人で賑わう展覧会場をそぞろ歩く。

芦雪と云う絵師は、何しろ「クローズ・アップ」と「月」が大好きで、その奇行も知られているが、多くの作品に観る力強いブラッシュ・ワーク、「酔った勢い」や「指」を用いた作品等は、当に「奇は新なり」…元京博のK先生では無いが、「応挙がなんぼのもんじやい!」で有った(笑)。

リフレッシュされた細胞と共に信楽を後にし、今度は京都へ。顧客と会い、某料亭の松花堂弁当と「稚鮎」を頂く。鮎は小さい方が美味しい…神よ、五尾も頂いてしまった私をお許し下さい。

その後仕事を一件済ませると、午前中に到来した何ともタイミングの良いお誘いメールに従い、若宗匠のお宅へ。

素晴らしい気候と柔らかい陽射しの中、丹精に整えられた上に前日雨に打たれてしっとりとした、若宗匠曰く「最高のコンディション」の苔むした庭を臨みながら、先ずは「一服」頂く。
その後、若宗匠にお庭や茶室を案内して頂いたが、各茶室とも異なった個性が有り、例えばモンドリアン・チックな内部意匠、琳派風の写生欄間、舟形茶室…しかし「祖堂」だけは、他とは全く異なる「気」の在る場所で、400年を超えるこの「家」が濃縮されている気がした。

水を打たれた露地や蹲に映える苔は、そんな「家の歴史」が一朝一夕に出来たモノではない事の証明・象徴で有り、そしてそれは正しく若宗匠自身でも有る訳だが、ニューヨークに住み、地球上を右往左往しながら慌ただしく移動する筆者に、何時も忘れがちな「大事な事」を思い出させてくれるのだ。

それは、「私は日本で生まれ、日本文化に育まれた、日本人である」と云うアイデンティティー、そして若宗匠とは比べ様も無いが、日本の文化伝統を継承伝承する責任感を思い出すと云う、「細胞」の再生に他ならない。

宗匠、素晴らしい一時を本当に有り難うございました。