「夢」の葬列、或いは神道的終焉。

日本初日の昨夜は、同時来日中のニューヨークの盟友「空飛ぶ建築家」Sと、青山の行き付けのイタリアン「ドン・チッチョ」でディナー。

相変わらず旨過ぎる、石川シェフの料理に舌鼓を打ちながら、飲み食べる。食後Sは横浜へ、我ら地獄夫婦はと云うと、これまたニューヨークから出張中の友人のジャズ・ピアニスト、H女史が主演している六本木のジャズ・クラブ「All of Me」へと出掛け、音楽と友情の楽しい一夜を過ごした。

そして今日のダイアリーは、時間を逆行する。

昨日の午前中、我々は墓参と実家への挨拶を済ませていた。

お盆の抜ける様な晴天の下、暑さと蝉時雨の中の墓参は、筆者を子供の頃に引き戻し、嘗てウチのお墓の向かいに有った、桜の木が植わっていた小山も、今はすっかり削られて平地にされ、全く同じデザインとサイズの小さなお墓が、沢山整然と並んでいる…時代は変わるのだ。

桂家家は神道なので、墓前に花は供えるが、線香は焚かず、当然墓石に「戒名」も無い。夫婦墓石に向かって前後に並び、二礼二拍してお参りをする。

そんな風に墓参をしていると、珠に横を通る人が不思議な顔をするのも当然で、大抵の日本人は、家に神棚が有ったり、或いは結婚式を神前で執り行ったとしても、死んだ時はお寺、仏教であの世に送られる事が殆どからで、神道の葬式や墓参の仕方等、知っている方が極めて稀なのだ。

さて、その神道の葬式で、「夢」の様な想い出が有る…それは今から14年前、祖母が亡くなった時の事だ。
祖母は1900年生まれだったから、19世紀と20世紀を跨いで生き(後4年頑張れば、3世紀に渡って生きたのに!)、その世代としては全国でも数人しか居なかった、「女性宮司」として生涯を終えた。

そんな祖母の神社は秋田県の山奥に在り、子供の頃は夏休みを丸一月、冬休みの10日程を、毎年其処で過ごしたものだ。

祖母の死は痛く悲しかったが、何時も「申し訳ないねぇ、こんなに長生きして…天皇陛下は3人も逝ってしまったのにねぇ…」と云いながら、97歳の天寿を全うした事には、家族皆良い意味での諦めも有った。

そして一人娘で有った母が当然喪主を努めたのだが、その23代続いている土着的な神仏習合社での葬儀は、経験の無い筆者に取っては全く驚くべき物で有ったのだ(と云っても、凡ての神道が以下に述べる様な風習と同じとは、決して思っていないので、悪しからず)。

先ず葬儀を行う広い座敷に、「青白」の幕を張る…「黒白」では無い。因みに喪主も葬儀の日は、黒の喪服を着ず、これも「青」の紋付を着るので有る。そして広間の何段も有る神棚には、海の幸山の幸が供えられ、暫くすると神主さんが登場し、幾つかの祝詞を奏上した。

柔らかな陽射しが差し込む中、神主さんに拠る祝詞や太鼓が途切れると、それを待っていたかの様に、開け放たれた戸の外から聞こえる、稲穂が風に吹かれざわざわと云う音や鳥の囀り、虫や動物、そして森の音…「あぁ、神道とはこう云う事なのだ」と、筆者に確信させるに十分で有った。

葬儀が終わると、参列者は祖母の遺体と共に焼き場に向かったが、喪主は焼き場には来ない。そして焼き場から一度家に戻った一族郎党は、遺灰を持ち葬列を作って、納骨の為墓地へと向かった。

葬列は、神主さんを先頭に本家総代、喪主(母)と続き、その後を幟を持った筆者、遺骨を持った筆者の弟、親族と続く。この時、血の繋がりの無い父はかなり後方に並ばされた。

そんな葬列は初秋の爽やかな風の中、神社を出て村を横断するが、行き向かう全ての村人達は「本院様」(祖母はそう呼ばれていた)と頭を垂れた。村の中心部を出ると豊かな田圃が広がり、その畦道を葬列は進んだ。

緩やかな陽射しの午後、鳥達の鳴き声と、色付いた稲穂が風に揺れ、再びざわざわと音を立てる中、葬列はゆっくりと一歩一歩進む。永遠に続くかと思われる一本道の畦道を歩きながら、その時筆者は、正しく黒澤明の映画「夢」の中の一登場人物と為っていたのだ。
そして葬列は、広大な水田地帯を抜け、母方の代々の墓地の在る、山の上の曹洞宗の寺へと入った。

読者の皆さんは、神道神官の家系の墓地が、禅宗の寺院内に在る事に首を傾げたと思うが、それは筆者も同じ…家の伝えでは、もう何百年も前に、ウチの神社がこの寺を助けた事が有ったそうで、檀家制度に厳しい禅宗の寺も、それ以来母の家に墓地を提供管理して居るとの事。お寺の方でも、代々申し送りされて居るのだそうだ。

唯一「戒名」の無い、広い墓地の中でも一際大きい一枚岩の墓石には、唯「●●家」と有るだけ。そして納骨が始まったのだが、驚くべき事に、遺灰の入った骨壺はその侭納められず、遺灰は骨壺から墓石の下の地面に掘られた穴に、直接バラバラと注ぎ込まれたのだった。

此の行為の理由は単純で、「生命は土に帰る」。神道に於けるアニミズム的人間の終焉とは、そう云う事なのである。

「夢」の葬列の終わりは、アニミズム的循環の始まりでも有ったのだった。