アートに於ける「人体」の可能性 I :"SKIN FRUIT"@NEW MUSEUM.

先ずはお知らせ。筆者が「オークションの目玉」を連載させて頂いている、講談社の雑誌「セオリー」最新号が、日本時間5月25日に発売となります。今回の「目玉」は河鍋暁斎…その絢爛たる「奇想の美人画」をお楽しみ下さい。

さて先週末の土曜日は、通称「エリザベス宮殿」にて、A姫のパートナーであるピエトロの「サプライズ・バースデー・パーティー」…10人程のA姫の友人達が、ご馳走を持って集合した。

チャシュー・パン(「マン」では無い!)やハンバーグ、ヴィシソワーズ、チーズ各種、ロースト・チキン等を「選ばれたワイン」で頂いた後は、ピエトロ特製の「ブロッコリ・パスタ」…流石イタリアンの味であった!サプライズでの、ケーキとハッピー・バースデーの合唱にピエトロも嬉しそうで、ヨカッタ、ヨカッタ。

そして日曜日の昨日は、午後からバワリー街の「NEW MUSEUM」へ。ジェフ・クーンズがキュレイトした展覧会「SKIN FRUIT」を、やっと観に行く事が出来た。

この展覧会は、アテネに在る「DAKIS JOANNOU COLLETION」の作品を、クーンズが注意深く選び、キュレートしている物である。JOANNOUのコレクションの形成は、このショウにも出展されているクーンズの「One Ball Total Equilibrium」(1985)との邂逅がその始まりで、彼がジェフリー・ダイチに連れられ、イースト・ヴィレッジのギャラリーでクーンズと会い、この作品を観た事に拠る。そんな経緯が有るので、クーンズのこのコレクションへの思い入れが強いのも、当然頷けるだろう。

クーンズが選んだ作家は、自身の他、大御所ではマシュー・バーニー、ヴァネッサ・ビークロフト、シンディー・シャーマン、ロバート・ゴーバー、ジェニー・ホルツァー、ダン・フレイヴィン、村上隆、キキ・スミス等々で有るが、若手の作品もかなり多い。

さて展覧会はと云うと、筆者的には今までNEW MUSEUMで観た、どの展覧会よりも素晴しかった!

好きだった作品で云えば、先ずマウリツィオ・カテランの「All」(2007)。これは、マーブルで彫られた9体の「布をかぶせられた死体」が、整然と並ぶインスタレーションなのだが、その側で監視員と間違えられそうな位に地味な女性が(現に筆者も間違えた:笑)、「I know, I know... this is propaganda...」と美しい声で歌い続けると云うTino Sehgalの作品と相俟って、美しくも恐ろしいインスタレーションと為っている(今でもそのメロディーと歌声が、耳から離れない)。カテラン作品ではもう一点、棺に入った生々しいJFKの遺体「Now」(2004)、これも凄いインスタレーションで有った。

またRoberto Cuoghiに拠る「Pazuzu」(2008)と、David Altmejdの「The Giant」(2006)の2点の巨大な作品は、21世紀に於ける「人体表現」と「彫刻」の可能性を十二分に伝える力作で、非常に印象が強い。こう云った作品に観られる「アートのスケール感」は、サイズの問題のみならず、日本人には中々出せないモノだろう。

その他、多くの素晴しい作品が出展されているのだが、やはりこの展覧会の成功は、クーンズの力に拠る所も大だと思う。今回展示された「人体」作品の幾つかは、然もすれば「何でも有り」や「グロ」の世界に、容易に落ち込む危険性を孕んでいる様に思うが、クーンズに拠って慎重に選ばれた作品には、彼の持つ或る一定の「美の品質基準」が感じられる為に決して「グロ」く無く、須らく「人体」の過去と未来の表現、またその「Icon」としての突き抜け感と潔さが、研ぎ澄まされた刃の様に観る者に迫って来るからである。

そしてこの展覧会は、付けられたタイトルの「Skin Fruit」、謂わば「皮を剥がれた果実」、或いは「肌を剥がれた人体」と云う意味に於いて、「人間存在とアートの『今』」を徹底的に剥き出しにするのである。

この展覧会は、6月6日迄。疑い無く今年最高の展覧会の1つで有り、「必見」のショウである。

追記:このダイアリーに関しまして、筆者の友人で「ニューヨーク・アート・ビート」のファウンダー、藤高晃右氏にご教示を頂き、一部訂正を施しました。晃右君、有難う御座いました!!