アートに於ける「人体」の可能性 II :"THE ARTIST IS PRESENT"@MOMA.

昨晩NBCの人気長寿番組、「Law & Order」が滔々終了してしまった。

最終回は、この番組のエクゼクティヴ・プロデューサーで、仲の良い友人Rの「初監督」作品であった。Rは長年この番組の脚本を書いて来て、最後の最後で監督をしたのだが、スケール感の有るストーリーと凝った作りで、中々良かったと思う。この「Law & Order」は、1時間枠の警察と検察の犯罪・人間ドラマで、現在放映中のプライムタイム・ドラマとしては最長寿、20年も続いていた大ヒット番組であった…R、大変お疲れ様でした!

さて、昨日の続きである。日曜日にNEW MUSEUMに行った後、実はもう1つ重要な展覧会へ向かった。

それは「MOMA」で開催されている、現代美術家マリーナ・アブラモヴィッチの展覧会。実はこのショウは、始まったばかりの頃に一度観たのだが、その頃忙しさも手伝って此処に記すのを忘れてしまったのと、展覧会自体が今月一杯で終わってしまう事も有り、今一度MOMAを訪れて再覧して来たと云う訳だ。

アブラモヴィッチは、1946年にユーゴスラビアで生まれ、現在ニューヨークをベースに活動しているパフォーマンス・アーティストである。彼女のアートは「肉体」、そしてパフォーマーと観客との「関係性」を極限的に表現するもので、今回の展覧会は所謂アブラモヴィッチの「回顧展」と為って居る。

今回のショウでは、その写真・映像作品も然る事ながら、例えば全裸の男女が向き合って立つ狭い空間を、観者が通り抜けると云う「参加型アート」の「Imponderabilia」(1977)や、向き合った男女が、人差し指でお互いを指差し立ち尽くす「Point of Contact」(1980)、全裸の人が人骨を体に乗せて横たわる「Nude with Skelton」(2002-5)等、この展覧会開始直後に警察までもが「本当にアートなのか?」と調べに来た程、パフォーマンスも見所満載なのだが、やはり観るべきは、アブラモヴィッチ本人がパフォームする「Nightsea Crossing」である!

このパフォーマンス・アートは、四方を囲む多くの観客が見る中、参加したい観客が、椅子に座ったアブラモヴィッチと四角いテーブルを挟んで対峙して座り、微動だにせずにお互いを「見詰め合う」と云うものだ。そして最も驚くべき事は、アブラモヴィッチがこの展覧会の始まった3月14日から11週間の間、閉館日以外は毎日朝10:30から夕方17:00迄、一度も食事も取らずトイレにも行かずに、このパーフォーマンスを続けていると云う事なのである(参加者は、自分の好きなだけ座っていられる)。

アブラモヴィッチの、今年64歳になるとはとても思えない、この恐るべき「肉体」と「精神」の強靭さは、それ自体が既に芸術である。それは例えば、優秀な茶道家の素晴しく、美しい、流れる様な「点茶」の所作や、イチローが走り出す時の美しさ等もこの部類に入るのかも知れないが、喩えるならば「アスリート的な『美』」なのである。そして好き嫌いは兎も角、彼女のこの強靭なアートの前では、今蔓延る柔な「表面だけの言説」や「安易な商業主義」のアート等は、観るも無残に砕け散ってしまうだろう…。

芸術作品が人間に因って創られる以上、その作品を産み出す過程に於いて、アーティストの「肉体」が最も根本的且つ重要な「道具」で有ると云う事を、アブラモヴィッチが我々に改めて示してくれる、スゴイ展覧会なのだ。故国を失った「女性芸術家」アブラモヴィッチ、恐るべし…である。

そして筆者は、明日日本へ発つ…明後日からは再び「ジャパン・アート・ダイアリー」である。