ウィレム・デ・クーニングの「完成しない女」達。

一昨日の夜、台風一過の日本に着いた。

出発前夜のニューヨークは摂氏8度迄気温が下がり、秋と云うよりは冬の到来を予感させる気候の中、夕方からは日本からニューヨークに取材に来て居た、作家H氏と行動を共にする。

先ずはクリスティーズの下見会を見学し、その後タクシーを飛ばして「ショーン・ケリー」で開催中の、僕の好きなフランス人現代美術アーティストLaurent Grassoの「Soleil Double」展(→http://www.skny.com/exhibitions/2014-09-13_laurent-grasso/installations/)を観覧。

この作家は、2008年に「マルセル・デュシャン賞」を獲った未だ42歳のアーティストだが、テンペラ等の古典絵画の手法で描かれた、ミステリアスな主題作品が魅力的。H氏の代表作のイメージも有る「Eclipse」や、素晴らしいビデオ作品等の作品と対峙したが、個人的にはただ一言…ウーム、欲しい(笑)。

その後は、今回雨の中行列して迄観に行った、学芸員に勧められた展覧会が未だ開催前だったり、前にニューヨークに来た時、憧れのアポロ・シアターに行ったらその日の公演が何と「和田アキ子」だった、と云った悲しい話をしながら地獄パレス迄歩き、これも偶々ニューヨーク出張中の、某有名歌舞伎役者の個人会社で働くMさん、マヨンセの4人で一杯遣る。

ディナーは、ダウンタウンの行き付け「C」で…結局11時半前まで4時間に渡り、皆で毎度の如く「日本国民のリテラシーの低下」「憂国」「批評精神の無さ」「才能の自死」等に就て、時には憤りながら、時にはウンザリしながら喋り捲るが、結局は憂さ晴らし的な楽しい晩餐と為った。

そして翌日、巨大台風に因って運航が危ぶまれた我がNH1009便は、大した揺れも無く、無事成田に定刻に到着…で、今回僕が機内で噛り付いて観て居たヴィデオ・プログラムは、日本で大ヒットした「半沢直樹」なので有った。

この「半沢直樹」、「倍返しだ!」と云うキメ台詞だけは流行り言葉として知って居たが、僕が番組を見たのはこれが初めて…そしてこのドラマは、聞きしに勝る物だった。そして、この番組を観ていると「日本の大銀行(大企業)の内部は、きっとこうなんだろうなぁ…」等とウンザリしながらも、結局4話も立て続けに観て仕舞った自分が悲しい(笑)。

では、本題…ブリジストン美術館で始まった、「ウィレム・デ・クーニング展」のオープニング・レセプションに行って来た。

僕に取ってデ・クーニングの展覧会は、3年前にMOMAで開催された大回顧展以来だが(拙ダイアリー:「『六条の御息所』としてのウィレム・デ・クーニング」参照)、この展覧会は日本初公開27点を含む油彩・水彩・素描の計35点を集めた物。

その初公開27点が「キミコ&ジョン・パワーズコレクション」(拙ダイアリー:「彼らがアートを解放した」参照)からの作品で、残りはMOMA・近美・都現美豊田市美・広島市現美・池田20世紀美・国立国際・個人蔵から1点ずつの出展と為って居る。

さて、京橋に在るブリジストン美術館は、ご存知の通りそれ程大きい美術館では無い。が、ここ迄濃密な「デ・クーニング空間」は、世界でも滅多に体験出来ないのでは無いか!と云える程に、特にパワーズ・コレクションからの60年代をメインとする「女」の作品群は、その重要性と共に僕を圧倒したのだ!

そして、実に素晴らしい「Study for Marilyn Monroe」(1951)から始まる本展の「女」達は、時に美しく、時に醜く、時に狂おしく、時にセクシーで、例えば村上華岳を思わせるうねる鉛筆ドローイングや、カラフルに彩られた油彩の中で、或いは激しい筆致の中に生々しく息衝く

デ・クーニングに取って、極めてプライヴェートでパブリックな「女」達…彼の眼に映った「女」が、彼の脳内で此処迄抽象化されたと云う事実は、本人の

「彼ら(アーティスト)は『様式に腰掛ける』ことを望んではいません。むしろ、彼らは彼らはどんな種類の、どんな様式の絵画であれ、事実全くの絵画であるからには、それは今日を生きる方法であり、いわば、生の様式あるということを発見したのです。そこにこそ芸術の形式があります。」(当展覧会図録「画家の言葉 2」より抜粋)

と云う言葉を、当に証明していると思う。

デ・クーニングの新築の家は、最後迄完成しなかったと云う…そして、何百も描いたで有ろう「女」も彼にとっては永遠の「未完成」なテーマだったに違いない。

パワフルで素晴らしいこの展覧会を見逃すな!