澤瀉屋の「玄祖父の肖像」。

昨日は、目白の学習院大学で開催された「第12回国際浮世絵学会大会」に参加。
小林忠理事長を始め、河合正朝、浅野秀剛、安村敏信各先生方等や、角田、渡邊、纐纈、浦上各氏等の業者の方々に、ご挨拶頻り。

毎回学会では、研究者の研究発表も勿論大変勉強に為るのだが、今回は学者でない参加者(業者・コレクター・一般の方も参加出来る)に取っては、或る目玉企画が有って、それは歌舞伎役者、澤瀉屋市川亀治郎丈の「コレクション展」と、その記念講演である。

澤瀉屋は3時前に到着し、学会理事(余りお手伝い出来ていないが…)の筆者等が出迎え、挨拶を交わす。流石、所蔵作品2000枚を誇る浮世絵コレクター、初対面の筆者の名刺を見ると、「オッ」と云う顔をした。その後松竹のA専務の話や、母校G学園の話等をするが、少々お疲れ気味で有ったか。

さて、同じく学習院で開催された展覧会の方はと云うと、此れが学会始まって以来の大入りで、しかも女性客が異常に多い…これも瀉屋の人気のお蔭だ。

全54点の展示だが、鳥居派・勝川派の細判役者絵を中心とするが、亀治郎丈が最も好きだと云う絵師、国貞の「大当狂言ノ内 梶原源太」や「豊国揮毫 奇術競」シリーズ等有り、センスと摺りの良さが際立つ。

講演の時間が近付くと、どんどん「女性客」が増え始め、会場はあっという間間に一杯に…こんな浮世絵学会は初めてだ!しかしこの光景を眼にすると、「文化スポークスマン」の存在と、その重要性を改めて感じる。

万雷の拍手と共に澤瀉屋が登場し、講演が始まった。流石に「役者」、声は通るし話も非常に上手く、聴衆の心を直ぐに掴んだ。

面白かったのは、彼がコレクションを始めた理由である。彼の父、市川段四郎はバブル時代、毎年の様にヨーロッパ公演に行っていたそうだ。そして毎回息子に土産を買って来るのだが、或る時土産のネタが尽き、偶々行ったロンドンの蚤の市で、自分の曾祖父に当たる、初世市川猿之助の錦絵を買って来た。

その海外から「里帰りした」錦絵を気に入った亀治郎少年は、持ち前の収集癖も有り、瞬く間に浮世絵商もビックリの「チビッコ・コレクター」となる。その後一時期熱が冷めるが、今度は自分が外国公演に行く度に浮世絵を見つけるに連れ、再び熱に魘され始めたらしい。

此処で興味深いのは、父親が買って来たこの錦絵は、少年時代の澤瀉屋に取っては、「アートとしての浮世絵版画」では無く、単なる「玄祖父の肖像画」で有ったと云う事だ。成る程役者と役者絵の関係性は、特殊である。

歌舞伎役者としての亀次郎丈は、錦絵に描かれる衣裳、型、見得等の再現を試みている。そして、その研究に余念が無い。それ程浮世絵版画を、役者と云う職業の為に有効利用しているのだ…買う時に「経費」で落とせないかしらん(笑)。

もう一点、初めて知って驚いたのは、澤瀉屋の家系についてで有った。

澤瀉屋の初代、初世市川猿之助(二世段四郎)は、九世團十郎の門弟で有ったが、彼の家はそもそも毛利藩の「御抱え蒔絵師」の家で、遊び過ぎて身上を潰し、役者と為り團十郎に弟子入りしたそうだ。確かに澤瀉屋は、役者の家としては歴史が浅いが、そう云った訳だったのか…。

因みに筆者の妻の家は、江戸初期からの、毛利藩の「御抱え焼物師」なので、先祖同士が、毛利の殿様のお城か何処かで会っているかも知れない…これもご縁だろうか。

澤瀉屋は、時折版画の専門的知識をも含ませながら、一寸した見得のポーズも採り入れたりして、最後迄話術も巧みに盛り上げた。最後の質疑応答も無事に終え、素晴らしい、インテリジェンス溢れる講演は終了。
研究発表と講演会、硬軟取り合わせた国際浮世絵学会大会は、学会の新しい横顔を見た様な気がした。