「桂」と「12月」の相性。

成田のラウンジに来ている。

1ヶ月を超える長い長い出張も、今日でお仕舞い…今回の旅は、自分でもビックリする程の驚異的な「引き」と、「縁」の強さを実感した旅でも有った。

さて一昨日は、昼過ぎから若宗匠と会い、シアター・トラムでの舞台公演「その妹」を一緒に観る。

この舞台はもう一人の「武者小路」、武者小路実篤原作、市川亀治郎丈と蒼井優が主演を勤める。暗いストーリーなのだが、主演の2人は大熱演。

亀治郎の確りとした盲目の演技と熱の入った台詞廻し(従兄弟の香川照之とソックリだ)、優ちゃんの「笑顔を保った侭」(或る意味、恐ろしい笑顔なので有る)悲苦を表現する素晴らしい演技、更にはこの2人を含めた芸達者な俳優陣の、事態が悪化するに連れて変化して行く顔色や、だらしなくなる衣装と髪型…それら全てに、「リアリズム」の成功を観た。

感動頻りで三軒茶屋を後にすると、若宗匠と麻布の「KEIJI FRAME」を訪ね、額装が完成した我が家の「家宝」を引き取ると、歩いて茶室「重窓」を訪ね、今年最後のお茶を頂く。

茶室でご一緒したのは、映画や舞台で活躍中の、長身美人女優のHさん…Hさんは現在、お茶や日本舞踊等の日本文化に興味津々だそうで、この機会と相為った。
灯りを落とした茶室に入ると、先ず眼に入るのは、床に掛けられた、春屋宗園の賛の有る、構図の面白い水墨「禅機画」で、床柱には冬なのに、ポッテリとした竹編掛花入に寒椿。

焼いた香ばしい最中を頂き、楽茶碗でお茶を飲みながら、「市中の山居」でのひと時を3人で楽しんだが、「問題」はその竹編花入で有る。

夏に使われるべきこの花入の名は、何と「『桂』籠」…その目の細かい確りと編まれたポッテリとした形は、成る程筆者の身体を想像させるに相応しいが(笑)、冬に掛ける理由が判らない…。

さて、この「桂籠」の名の由来だが、これは桂川での漁に使う「魚籠」(びく)の事で、別名「鮎籠」とも呼ばれ、千利休がこの籠を花入に皆さん見立てた事に始まる。そしてこの籠が冬、特に12月に掛けられる事には、実に面白い理由が有った(ここから先は、若宗匠の受け売りです)。

それは元禄15年12月14日、ご存知赤穂浪士四十七士が、吉良邸に討ち入りした日に由来する。

先ず、この12月14日を浪士達が討ち入りの日に決めたのは、この日吉良邸で茶会が催されたからで、この日ならば、上野介も必ず屋敷に泊まる事が分かっていたからだ。

そして、その日の会記に拠ると、冬にも関わらずこの「桂籠」が用いられていて、網目の隙間の無い(通常「竹編」は、編んだ竹の間の隙間が涼しげに見えるので、夏に重宝される)この「桂籠」が、実際冬にも使用された証と為っている。
そしてもう一点…無事本懐を遂げた四十七士は、浮世絵等に見られる様に、討ち取った吉良上野介の首を白風呂敷でくるみ、長槍の刃先に下げて、雪の中を泉岳寺迄行進したと云われているのをご存知だと思う。

が、この話には異説が有って、それは、行進の槍の先の白風呂敷の中に、実は吉良の首は入って居らず、それは吉良陣営に拠る「首」の奪還を防ぐ為で、「首」は船でそっと泉岳寺に運ばれた、と云う物である。

そしてその説に因ると、「首」の代わりに包まれていたのが、この「桂籠」だと云うのだ!

確かにこの「桂籠」は、包めば人間の頭に見える大きさで、その異説も尤もらしい…美術品に纏わる逸話は色々有るが、この「桂籠」の話は何とも良く出来た話で、個人的には信じたいし、香雪美術館に現存する「桂籠」が「その物」だと思うと、人と美術品の辿る運命に想いを馳せずには居られない。

と云う訳で、「『桂』籠」と「12月」は、少々血腥い所も有るが、何しろ相性抜群らしい(笑)。

相性抜群の夜は夜で、仲の良いクリエイティブ・ディレクター、建築家兄弟とK大の文化人類学者とで、常連の「B」で閉店迄(ジンジャーエールを)飲む。

そして昨日、日本での今年最後の仕事として屏風の査定に訪れた、或る禅寺の剰りにも清心な佇まいにリフレッシュし、実生活でも「12月」との相性が最高だった「『桂』屋」は、後一時間程で日本を後にする…。
日本の皆さん、良いお年を!