「OMEN:前兆」(後編)。

ムッシュー、それでは早速作品を観て頂きましょう。」

フランクと名乗った車椅子の美青年は、背後のマイケルに軽く合図をすると、マイケルは向きを変えた車椅子を押しつつ、私を隣の部屋へと案内した。その部屋は、未だ9月の終わりだと云うのに、雨の所為か、それとも山深い森の所為か非常に寒く、既に暖炉には薪がくべられていて、その炎が温かく感じられる。

部屋の所々に置かれた、年代物の燭台に燈された蝋燭の灯だけを頼りに廻りを見渡すと、恐ろしく高い天井迄届く重厚な造りの本棚や、マホガニーの書物机、座り心地の良さそうな数脚の椅子、ローマ時代の大理石像や19世紀のブロンズ像、そして壁にはフランツ・クラインやシュナーベルの大作、ロートレックの素描などが眼に入る…しかしこのフランクと云う依頼主は、何と趣味が良いのだろうか。

しかし私の観るべき作品はそれらでは無く、部屋の右手の壁略全体を占めて居る「屏風」で有った。

何と云う事だ…「あの」屏風がこんな所に有ったなんて…!何と云う奇跡、何と云う幸運…私がフランクにこの想いを告げようとして振り向き、車椅子に座った彼のこの世の物とは思えない程美しい微笑を見た瞬間、背後に気配を感じたのだが時既に遅く、重い銀の燭台が私の後頭部へと振り落とされていた。


「此処は何処だ…?」

酷い頭痛が私を目覚めさせた。何が起こったのかと思い出そうと試みたが、思い出せたのは、最後に眼に焼きついたスコットランド人の青白い顔と、剥き出した眼だけだった。

軽く頭を振り、ぼやけた視線の焦点を合わせると、私が寝かされている部屋の窓と云う窓には鉄格子が嵌められ、しかしその内装は、まるでカンディダ・ホッファーの撮るデカダンの極致とでも云うべき宮殿内部の様で、此処にもベルベットが過剰に用いられている。

そして、未だ重い痛みの残る首を辛うじて持上げると、其処にはあの「16世紀の城」を描いた屏風が壁から降ろされ、この六曲屏風が嘗てそう置かれ使われていた様に、体を軽く折り曲げながらタペストリーの上に佇んでいた。

人の気配がし、私を殴打した筈のマイケルが車椅子を押して部屋に入って来る。そして、その椅子に座るフランクの顔付きは以前と異なり、まるで氷の様で、しかしその冷徹な美しさは、私を苦痛と恍惚の混ざった怪しい気持ちにさせるのに充分であった。

フランクを乗せた車椅子は私の枕元に寄せられ、マイケルは静かに立ち去る。するとフランクの青白いしなやかな指が私の顔をゆっくりと撫でる。私がその指に触れようとすると、その時驚くべき事が起こった…何と歩けない筈のフランクがゆっくりと立ち上がり、屏風に向かって歩いて行くでは無いか!

そしてフランクは「城」の屏風の前に佇み、呆然とする私を見詰めて微かな溜息を一瞬吐くと、ジャケットの内ポケットから取り出した象牙の柄の付いた鋭く光るナイフで、その「城」の屏風を切り裂き始めたのだった。

「何と云う事を!」

私は自分の体を切り裂かれたが如く、絶叫した…。


自分の余りの大声に、私は夢から醒めた。

何と云う夢だったのだろう…私は抑え切れぬ動悸を感じながら、何故かこの夢は、何かの「前兆」では無いかと思った。

それが吉兆だったのか、凶兆だったのかは、未だ判明していない。