「独立記念日」の花火@AQUAHOLIC号。

今日のニューヨークの気温は、「100度」である。日本の方は「?」であろうが、これは華氏100度で、摂氏だと36度くらいでは無いか…もう暑くてやってられない。夏バテも良い所である。しかし、働かねば為らない…(涙)。

さて、大成功した「サプライズ・パーティー」の疲れが癒えず、先週末の土曜日は夫婦2人共一日中死んだ様に眠り、何も出来ず…そして日曜日、「独立記念日」を迎えた。

毎年この「JULY 4TH」には、必ずコレをすると云う決め事は無いので、今年は仲の良い友人のドイツ人現代美術家、インゴ・ギュンターからの「僕のボートで飲みながら、花火を観ないか?」との誘いに即座に乗り、彼のボートに乗って「独立記念日の花火」を観に行く事にした。

8時にトライベッカから直ぐの処に在る「PIER 40」に集合し、彼のボート「AQUAHOLIC」号に乗船する…しかし捻りの利いた良い船名である…幾文字か違うだけで、船(長)としては大層危ないが(笑)。参加メンバーは思ったよりも多く、法律家や現代美術家を含めた国際色豊かな25人程、友人のC&RのカップルやR&Jのカップル、叔父さんの経営するチェルシーのギャラリーに勤めるC嬢とも、再会を果たす。

前もって「Alcoholic」、もとい、「Aquaholic」船長のインゴに、「君は優秀なキャプテン(船長)なのかい?」と聞いた所、「マゴ、ニューヨークでは、このサイズのヨットには免許が要らないから、僕は正式のキャプテンじゃないんだよ…経験を積んだセイラーでは有るけどね!」とニヤッと笑ったのが、少々不安であったが、運を天に任せるより致し方無い(笑)。

皆で持ち寄った飲み物やスナックを積み込み、我々の乗船が完了すると、8時半過ぎに出航。花火は9時半頃の予定なので充分時間は有るが、「良い場所」を早く確保せねばならない。しかしこの日のニューヨークは本当に良い天気で、昼間はかなり暑かったが、流石にこの時間になると川風も涼しく、デッキから見える、未だ夕焼けが残るニュージャージーは、恐ろしい程に美しかった。時たま横波に揺られながらも、セイリングをしながら刻一刻と変わって行くマンハッタンの夜景を楽しみ、皆と飲み話すのも新鮮で楽しい。

そうこうしている内に陽はとっぷりと暮れ、夜空には星が瞬き始め、Aquaholic号も「ポジション」に着いた。そして閃光が閃くと、「メイシーズ・プレゼンツ」の独立記念日の花火が始まった。日本人からすると、一寸儚さに欠けるこちらの花火にも、実は全く別の趣があって、それは隅田川に屋形船を浮かべて観る花火が、ハドソン川でドイツ人所有のボートで観る花火と、例え花火自体が同じ物で有っても、根本的に異なる「花火」で有るのと同じで、要は「郷に入っては郷に従え」的な感覚である。何しろアメリカ人に取っては、友人である生粋の英国人が未だに「建国史上最大の失敗」と嘆く(笑)、アメリカの英国からの独立建国を祝う「花火」なのだから、そう云った気持ちで観れば、成る程誇らしげである…因みに今、こう云う「誇らしい」感情が日本国民に有るのだろうか、等とも思わず考えてしまった。

色取り取りの花火と共に、河の各地に泊ったボートから歓声が挙げるが、乗客中にアメリカ人の極端に少ない我が「Aquaholic号」では、周りのボートに比べても、余りにその歓声が少なかった…乗客の殆どがドイツ、イタリア、中国、日本の出身者と来れば、その中国を除いた「歓声」の全ては「ワールド・カップ」に使い果たしているからだろう(笑)。

しかし、今回初めてハドソン河上で「独立記念日の花火」を観たのだが、そしてこれは隅田川の時も思ったのだが、河にボートを浮かべて花火を観る時の良い点が、2つ有る。それは先ず、「水面に映る花火」が本当に美しい事だ。鏡面作用と云うか、漆黒の上空に輝く花火が、おぼろげに揺れながら水面に映るのを間近で観れるのは、嬉しい特権である。そしてもう1点は「音」だ。特にニューヨークの場合、高層建築が多いので、良くビルの屋上から見物したりするのだが、やはりこの花火の「音」を略ダイレクトに聞ける醍醐味も捨て難い。今年の花火は天候も手伝い、迫力と美しさ満点であった。

花火が終了すると、帰りのボートで河が大混雑する前に、見物していた全てのボートがフル・スピードで帰り始める。これは結構壮観で、若い頃ディンギーをやっていた筆者ですら、良くぶつからない物だと感心した程だ。そしてピアに戻り、帰宅する数名を下船させると、ボートを繋留させると本格的に「パーティー」の始まりである。

美味しいチーズやチキン、おにぎりやフルーツ、延いては船上で焼く「柚子胡椒付き『特製バーベキュー・ソーセージ』」迄サーヴされ、シャンパン、ワイン等で盛り上がるが、やはりかなり揺れるので酔い易い…安上がりとも云えるか(笑)。此処でも「ラッキー地獄妻」は、インゴやその友人達に再びバースデー・ケーキをプレゼントされ、船上でも「ハッピー・バースデー」の合唱を受けた。

夜中頃、やっと乗客の1人が「インゴ、私達は何時陸に帰るの?」と声を出し、インゴはちょっと残念そうにAquaholic号の船首の向きを変え、我々は下船、船長を含め残った数名は、自由の女神まで再びクルーズするとの事だった。

今年の独立記念日は、インゴの御蔭で「水面に映った大輪の花火」と共に、本当に楽しい思い出となった。
因みにインゴの名誉の為に付け加えると、彼の「操舵」は完璧である…Ingo、Vielen Dank!!