「お通夜」と「ステーキ」。

「MUGGY」と云う言葉がぴったりの月曜日…朝から激しい雨も降り、ワシントンD.C.では何と地震が有り、もう既にクタクタである。

さてカタログ追い込みの土曜は、オフィスに出て仕事。今月一杯で9月の担当セールの「オークション・カタログ」を校了しなければならないからだ。

しかし昨日の日曜日の午後は、夏の緑とハドソン川の美しさを車窓から眺めながら、ウエスト・エンド・ハイウェイをタクシーで飛ばし、しかしそれは105丁目にあるNY仏教会のお寺へ、知人の「お通夜」に参列する為だった。

その知人とは、故Y氏。氏は在ニューヨーク邦人向けのフリー・ペーパーの発行人兼編集長で、享年61歳、早すぎる逝去であった。このY氏とのお付き合いは、ここ4年程の事で、クリスティーズや筆者の取材、日本クラブでの講師会でお眼に掛かり、また表千家のお茶をされていた事も有って、「お茶」のイベントなどでも良くお会いしていたのだが、つい一月ほど前にも、空港で元気そうに挨拶を交わしたばかりだった。Y氏は非常に個性的な方で有ったので、早く亡くなられたのが本当に惜しい。お棺の中でもハンサムな面持ちで、きちんと羽織袴を着られていた氏のご冥福を、心よりお祈りしたい。

お通夜参列後は、一度家に戻って着替え、気分を入れ替え友人達とのディナーへ。昨日のディナーは、28丁目に在るステーキ・ハウス「B」で、メンバーは「ニューヨーク肉食系女子」のピアニストH女史と我が地獄妻、「ニューヨーク雑食系女子」のA姫、日本からのお客様「日本草食系(多分)女子」のSさん、そして「世界何処でも肉食系男子」の筆者の5人。

前菜に「シーザース・サラダ」と「ミックス・グリーン・サラダ」を食した後は、「ポーター・ステーキ」(二人前)、「リブ・アイ」と「プライム・リブ」、「ホウレン草ソテー」を頼み、ガッツリと頂く。食事中には、H女史も知り合いであった、亡くなったY氏の話題も出たが故人同様シンミリとせずに、筆者以外は赤ワインでステーキ共をぺロリと平らげ、デザートは道を挟んだ向かいのブラッセリー「B」でと云う話になったのだが、生憎既に閉店、急遽チェルシーの行き付けイタリアン「B」に向かう事に。

「B」に着いてみると、相変わらずの「ゲキ混み」で座れなかったので、カウンターに居たジュエリー・デザイナーのN氏や元RUBEN MUSEUM館長のW氏等としばし歓談。テーブルが出来、席に着くと、本当はパスタを何か一品食べたかったのだが、ここは「オトナ」として我慢し(笑)、「トルタ・ディ・パルミジャーノ」(パルメザン・チーズケーキ:本当に軽くて旨い)、「クレスポ」(アイスをクレープで包み、ラズベリーソースを掛ける)、そして「ブランマンジェ」を注文。皆でシェアをし、閉店までプロセッコやコーヒーを飲みながら、今ニューヨークで最もヒップなホテルとレストラン、日本に於ける英語公用化問題、海外の第一線で働いている者に取っては、日本で話題になっているらしい「脱藩」等、如何に判りきった事か!で盛り上がる。

映画「おくりびと」では無いが、Y氏を偲んだ「お通夜」の後に食べた「ステーキ」は、まるで「生の証」の様で、あからさまに、明日への「血と肉」と為った気がした。

こうして肉食系ニューヨークの、そして人間の一日は過ぎて行く。