ベルヴェデーレ宮殿の「接吻」。

先ずはお知らせ…筆者が「オークションの目玉」を連載中の、講談社の雑誌「セオリー」7月号がもう直ぐ発売になります。今回のお題は「ピカソ」…是非ご一読を。

今日も酷い暑さの中、カタログ校正の為オフィスに出社。校正と云っても、カタログ上の誤字脱字の校正だけで無く、作品の史実や年代、作者やアトリビューション、来歴や展覧会歴、文献所載歴も含めての、「調べながら」の校正なので、折角書いた「フット・ノート」を全て書き直す事も有れば、レイアウトの変更、出品取り消し等も起こる。この期間はウチの部の2人のコンサルタント、元メトロポリタン美術館キュレーターと元サザビーズの日本美術スペシャリストと筆者の間で、制作年代やアトリビューションについて喧々諤々の大激論になったりもする、「地獄」の日々なのだ。

本題。今日の話題は、別に色っぽい話では無い…念の為(笑)。

さて、最近このダイアリー上で知り合った人に、現在フランスに留学して美術史を学んでいる、大学生のKさんと云う方が居るのだが、そのKさんのブログに拠ると、現在彼女はウイーンに旅をしていて、美術館、音楽会等を存分に楽しんでおられる様子…羨ましい限りである。

そのKさんのウィーンでの記事を読んでいて想い出すのは、筆者が生まれて初めて行った「海外一人旅」…それは今を然る事27年前(!)、一浪してやっと大学に入ったその年の夏休みの事で有った。

合格祝いとして親に頼み込み、ヨーロッパへの一人旅に出掛ける事にしたのだが、旅程はたった4泊6日、それは「どうしても行きたい場所」を含む最も安いパック旅行で、同行ツアー客は3組の新婚さんと中年女性、そして筆者のたった8人であった。

このパック・ツアーは先ずウィーンへ行き2泊、そしてパリに移って2泊して帰って来る旅程だったのだが、その「ウィーン」こそが筆者の「目的地」であり、もっと詳しく云えばウィーン市内に在る「ベルヴェデーレ宮殿」、そしてその中に飾ってあるクリムトの「接吻(Der kuβ)」と云う絵画を観る為だけに、当時から「大嫌い」だった飛行機に飛び乗ったので有った。

「和」の環境で育った筆者は、中学時代頃から「西洋万歳」になり、印象派やポップ・アートに興味を持った。が、初の一人旅で、どうしてもこの眼で見てみたいと思った絵画は何と「クリムト」で、実はそれは今は亡き「国立スカラ座」(「コクリツ」ではない、「クニタチ」である)で観た、或る「映画」に余りにも衝撃を受けたからだった…その映画とは、ニコラス・ローグ監督の1980年度作品「ジェラシー」である。

この映画は、「これでもか」的超耽美主義映画で、主演はテレサ・ラッセルハーヴェイ・カイテル、そして「サイモン&ガーファンクル」のアート・ガーファンクルと云う余りに癖の有り過ぎる役者達で、舞台はウィーン、音楽はトム・ウェイツキース・ジャレット(「ケルン・コンサート」!)、そしてラッセルが劇中読んでいた本が、確かボウルズの「シェルタリング・スカイ」(だったと思う…)と云う、何とも凝った、恐ろしくもエロい、センスの非常に良い「愛憎劇」であった。観ていない人は、今すぐ観る事をオススメする!

そして、この映画の重要な場面で繰り返し登場するのが、トム・ウェイツの大名曲「Invitation to the blues」と、このクリムトの「接吻」なのだが、当時高校2年か3年の子供だった筆者は、ラッセルの度を越した色っぽさと、この「オトナ過ぎる」精神的且つ肉体的「愛の形」、余りにも退廃的な街と音楽、そして「クリムト」にノック・アウトされてしまったので有る。

そこで早く「オトナ」になりたかった筆者は、先ずトム・ウェイツのアルバム「SMALL CHANGE」を渋谷「CISCO」で即買いしたのだが、「絵」の方は何としてでも「この眼」で観なければ「オトナ」になれない、また観ねばならぬ、との使命感に囚われ、意を決して旅立ったので有った。

ウィーンに着いた後も、道中イチャイチャしたり、翌朝朝食時に会うと何故かゲッソリとしている新婚達を見て見ぬ振りをしたり(笑)、これも1人旅のオバサンの攻撃をかわしたりしながら、自由行動時間中にやっとベルヴェデーレ宮殿に辿り着いた。そして憧れの「オトナ」の絵、「接吻」の前に立った途端…

それからおよそ「2時間」の間、その前から動けなくなってしまったのだ。

この異様に美しい絵画から受けた、衝撃的な「豪奢」「頽廃」「愛」「死」等のアンビヴァレントな感情。そして、未だ二十歳に為ったばかりの「コドモ」の頭の中を飛び回る「疑問」の数々…。
何故にこの絵画は、藤花文や琳派の流水文の様なデザインを描いているのに、余りにもヨーロッパ的なのか?
もし「接吻」が人間の「愛の行為」だとしたら、こんなに寂しくそして「死」の様な静寂を感じるのは、何故なのだ?
これ程大きな絵で、しかも金銀彩をふんだんに使い、眼も眩む程豪華な絵であるのに、まるで管楽器を多用する事に因って、敢えて暗い調べを奏でるマーラー交響曲の様に陰鬱なのは、一体何故なのだ!?

それらの答えを何と無く知ったのは、その後大学生時代に、「ジャポニズム」や19世紀後半のパリの「サロン」、「アール・ヌーヴォー」の事などを少し学んだ後だった。

美術品のプロの端くれになった現在迄、一枚の絵画若しくは一つの作品の前から、2時間以上立った侭動けなかった事は殆ど無い(歩き回ったり、戻ったり、毎日の様に観に行ったり、は有るが)。

そしてアートと云うモノは、その生まれた場所の気候や風土、思想や文化、そしてそれを取り巻く人間を含めて「生まれ故郷」、若しくは「長い時間、そこに存在している場所」で観る事がやはり一番で有ると云う事、そしてレプリカやポスターでは無い、「本物」を観る事の「絶対的な重要性」もその時に学んだ事だった。

ベルヴェデーレ宮殿の「接吻」と、再会出来る日は来るのだろうか…。