トリュフォーの夜。

ニューヨークの暑さは一段落し、オークション・カタログの制作は漸く入稿を終えた…これから校正地獄が始まり、週末は無い(涙)。

9月のセールには、古墳時代から近代迄に及ぶ300点以上の埴輪、墨跡、軸・屏風の絵画、宗教彫刻、肉筆・浮世絵版画、陶磁器、金工品、漆工芸、近代絵画、更には高麗・李朝の陶磁器や絵画・韓国近代絵画が出品される。

そして「モノが無い、モノが無い」と云いながらも、毎回何とか作品数が集まる事実にはオークション毎に驚く訳だが、4千年以上も作られ続けた日本美術品の歴史からすると、筆者のたかが20年強のキャリアで手にし扱った数等、所詮宇宙に浮かぶ一粒の塵みたいな物だろうから、当然と云えば当然か…。

そんな中、ベルナデット・ラフォンが亡くなった。

この女優の名を知らなくても、全く恥では無い…彼女はヌーヴェル・ヴァーグを代表するフランス女優で、代表作はトリュフォー1958年作品の短編作品「あこがれ(Les Mistons)」。当時ベルナデットは、その映画の共演男優と結婚して居り、夫は妻の出演に反対したが、トリュフォーの強い要請で彼女は出演、其れが蟠りと為ったらしく、撮影後夫婦は離婚に至っている。

このエピソードも、如何にもトリュフォーの映画に出て来そうな話だが、カタログ作業に疲れ切って帰って家に帰り、かの女優の死をネットで知った夕食後、ふと点けたテレビのインディーズ・チャンネルで始まったのは、何たる偶然か、トリュフォーの「アメリカの夜」で有った。

さて、筆者に取ってフランソワ・トリュフォーは、ヴィスコンティゴダールフェリーニと並んで特別な映画監督で、ビデオもDVDも無かった少年時代、一風変わった付属校で幼稚園から偶々フランス語を学んで居た筆者は、英語よりフランス語の方が理解出来た事も有って(勿論字幕も確り見たが)、当時毎週の様に通って居た「国立スカラ座」と云う映画館(拙ダイアリー:「クニタチ・シネマ・パラディッソ」参照)で「トリュフォー週間」が有ったりすると、100円玉を5個握り締めて走って観に行った物だ。

それは例えば、「恋のエチュード」と「突然炎のごとく」、「トリュフォーの思春期」と「アデルの恋の物語」、或いは「暗くなるまでこの恋を」とこの「アメリカの夜」の様な、今では考えられない程贅沢な「2本立て」での1週間の上映だったのだが、筆者はトリュフォーの繊細で我侭、時にブラック極まりない作風に感動すると共に、彼の映画を見る迄、監督が「自分の映画に出る」なんて事を知らず、その後は、オーソン・ウェルズヒッチコックウディ・アレン等を彼らの映画の中で観て「なぁんだ」と思ったが、それも今では懐かしい想い出で有る。

そんなトリュフォー作品の中でも「アメリカの夜」は、特に想い出深い…何故なら1973年度制作、アカデミー外国語映画賞受賞作の本作が、舅と嫁が駈け落ちすると云う筋の映画の「制作側」を描く作品で、恐らくは筆者が「劇中劇」映画と云う物を、この作品で生まれて初めて観たからだ。

さてこの「アメリカの夜」と云うタイトル、機材やフィルム感度の問題で夜間の撮影が技術的に難しかった当時のハリウッドでは、カメラのレンズにフィルターを掛けて、昼間に夜の「擬似撮影」をして居て、その技術をフランス人がそう呼んで居たからなのだが(如何にもフランス人らしい命名では無いか!)、ケーブル・テレビでのタイトルは「Day for Night」と為って居たので、何の事かと思ったら、アメリカではこの技術の事をそう呼ぶらしい。

また、この映画は数知れぬオマージュとパロディに充ち満ちて居て、コクトーのサイン入りバスタオルが部屋に架かって居たり、トリュフォー自身が演じる監督が注文する本はゴダールロッセリーニベルイマン等の監督の物、また嘗てジャンヌ・モローイングリッド・バーグマンが撮影中に呟いた言葉や行動も借用されて居て、その原典を後で調べるのも楽しい。

そして、これだけ映画制作への愛を感じる作品も無く、其処で描かれる撮影技術や俳優と裏方の人間模様等は、中学生に為ったばかりの少年には全てが目新しく魅惑的で、いつの日か映画を作る仕事に就きたいと真剣に思ったが、結局大学で取った「映画表現論」が映画のプロを目指す最期と為ってしまい、今に至る(涙)。

が、実は筆者が本作を忘れられない、もう1つの大きな理由が有るのだ…それはジャクリーヌ・ビセットだ!

筆者は当時29歳のビセットを(貴方が彼女のファンだったら、「ビスィット」と発音せねばならない…昔彼女のインタビュー記事で、本人が「そう発音して欲しい」と云って居たのを憶えている)、そのフランス的な美貌と完璧なフランス語の発音で、てっきりフランス人だと何年も思って居たが、実はイギリス人だったと云う驚きと共に、本作での彼女の可愛さと美しさはもう超人的で、もう画面にチューしたい位で有る(笑)。

本作では、「キッチンでのシーン」と「蝋燭を持って部屋に入るシーン」(トリュフォーの「得意技」だ!)での彼女が本当に綺麗で、特に「キッチン」での、窓の外を雨が伝い落ち、その窓越しにシルクのナイトガウンを纏ってジャン=ピエール・オーモンと愛の会話をするビセットは、その類い稀なる美しいシーンと共に長く記憶に残る。

その後余り役に恵まれない彼女だが、「オリエント急行殺人事件」や「ザ.・ディープ」で魅せた知的な美しさと驚くべきスタイルの良さ、ヨーロッパ的でコケティッシュ、セクシーなジャッキーは永遠に不滅だ!と世界に向かって叫びたい(笑)。

アメリカの夜」の最後、撮影スタッフが互いに別れを告げて立ち去るシーンを懐かしさ一杯で見終わった後、トリュフォー作品で最も好きな「突然炎のごとく」のジャンヌ・モローや、「アデルの恋の物語」のイザベル・アジャーニの事を思い出したりして居たが、そのチャンネルで直ぐに、今度は「終電車」が始まった。

美しいカトリーヌ・ドヌーヴと未だ若きジェラール・ドパルデューを眺め乍ら、反骨の人生を送りながらも最後は恋愛映画だけを撮り続けたトリュフォーが亡くなった年齢(享年52)に、来週誕生日を迎える自分が限りなく近く為った事を何故か痛感し、筆者の「トリュフォーの夜」は静かに更けて行ったのでした。