「井戸の茶碗」。

今日は時差ボケも手伝って、朝からお墓参りをした後は、国分寺の実家へ。

この地に越して、既に37年…今でも樹々に囲まれ、鳥や蝉の声が絶えない実家の食堂で、母親特製の「鰻冷やし中華」を食べていたら、つがいの黒揚羽蝶が飛んで来たりして、束の間の多摩の自然を楽しんだ。

さて、「『ANA009便』で観たアート」の第二彈。

下町育ちの筆者は、落語が嫌いでない。と云うか、例えば柳家小三治桂文治等は子供の時から大好きで、良く見たり聞いたりしたものだ…最近も、友人のライターM女史から頂いた小三治のCDを聞いて、大笑いしたばかりである。

それにしても、落語に出て来る江戸時代の町衆の義理人情や、武士の衿持には、現代に生きる我々からすると誠に尊敬に値する事が侭有るのだが、昨日機内番組で聞いた、立川志の輔師匠のこの「井戸の茶碗」と云う話も、今の政治家や美術商に、是非とも聞かせたい話なのである(笑)…長くなるが、自戒を込めて紹介するので、お付き合い頂きたい。
時は江戸末期。良い家の出だが妻に先立たれ、今は浪人の身に甘んじ、14、5に為る美しい娘と2人で、細々と長屋で暮らす初老の侍がいる。

或る日、「正直清兵衞」と呼ばれる屑屋がこの老侍に呼び止められ、家に伝わる「仏像」を引き取ってくれと頼まれるが、清兵衞は仏様の値段等解らないから、と断る。それでも金に困っている老侍に、其処を何とかと頼み込まれ、不憫に思った清兵衞は「もし買値以上で売れたら、その儲け分を2人で切半する」と云う条件で二百文を払い、仏像を譲り受ける。

清兵衞がその仏像を運びながら、細川家に仕える或る侍宅前を歩いていると、その屋敷の若い侍から声が係り、「丁度床の間に置くモノを探していた処だ」から、三百文で仏像を買うと云う。

さて、結果百文儲かった清兵衞は老侍を再び訪ね、約束通り五十文を渡そうとすると、「既に二百文で売ったのだから」と云い、決して上がりを受け取らない。
困った清兵衞がその事を若侍に伝えに行くと、事態は急変しており、それは、若侍が「塩とぬるま湯」で仏像を磨いていたら、底が外れて胎内から「五十両」が出て来たと云うのだ!真面目な若侍は、「自分は仏像は買ったが、五十両を買った覚えはない」と、清兵衞にその五十両を、元の持ち主に返して来いと云う。

再び五十両を老侍に返しに行った清兵衞は、頑固な老侍に又もや受け取りを断られ、困り果てた末長屋の大家と相談、頑固な侍2人を納得させる為に、2人に二十両ずつ、自分に十両と云う取り分で、何とか話を納めてくれと泣いて頼む。

渋々納得した老侍だったが、「こちらも武士の端くれ、タダでは金を貰えぬ」ので、何も無い家だが、金の代わりに老侍が毎朝茶を飲んでいる、薄汚れヒビの入った茶碗を、その若侍に持って行けと云う。

清兵衞から茶碗を受け取った若侍がその茶碗を洗い浄めると、中々味の良い「青井戸茶碗」では無いか。すると、噂を聞いた細川の殿様が、その茶碗を見たいと云いだす。裸茶碗では殿様に失礼、仕覆と桐箱を付け届けると、殿様大層茶碗を気に入り、何と三百両で買い上げたのだった。

困ったのは、今と為っては老侍が「超頑固」な事を知っている、真面目な若侍。若侍は、何とか三百両を老侍に受け取らせようと再び清兵衞を使いに出すが、屑屋の清兵衞も限界。往復する度に頑固な双方から責められ、もう勘弁してくれと、百五十両ずつの折半を提案、老侍も清兵衞を不憫に思い、それを受け入れる。

が(笑)、老侍は、金を決して懐に入れないその頑固で生真面目な若侍をいたく気に入り、清兵衞にその年の頃を聞くと、二十歳になった位だろうと云う。すると老侍は、そんな確りとした若者ならば、金を受け取る代わりに自分の美しい娘を差し上げたいと伝えよ、と清兵衞を返す。

若侍は、喜んでその提案を受け入れ大団円を迎え、清兵衞が「どうぞ、娘を磨いてやって下さい」と若侍に云うと、「いや、磨いてまた五十両出て来たら、困る」と云うオチで、この「井戸の茶碗」は終わる。

金よりも武士の衿持を貫く老若両侍、身の程を知り、しかも金よりも正直さを貫く清兵衞…登場人物は皆、不器用で頑固、しかも驚く程誠実である。そして噺中に登場する、小判が内臓された「仏像」と仕覆と桐箱を付けられた、裸の「青井戸茶碗」。

「『儲』かる」と云う字は、「『信』じる『者』」と書く。強欲なコレクターや美術商、政治家等には、剰りにも「耳の痛い『噺』」かも知れない(笑)。